01.知らない青

 だれ、なの。
 あなた、だれ、なの。

 疑問が溢れかえって胸が苦しかったことを、よく覚えている。
 こちらを見て微かに微笑んだ瞳は、知らない青をしていた。冴え冴えとしているがうっかり触れれば火傷を負いそうな温度の高い炎のようでいて、
同時に今にも消えそうに不安定な色。
 彼のことを思い出すたびまず最初に頭に浮かぶのが、あの瞳だった。そして何故か、最近頻繁に彼のことを思い出す。理由は、きっと。

「…ロック…。」

 目の前で傷ついている、彼のせいだ。名前を呟いた瞬間に、涙が溢れ、ロールはその場に泣き崩れた。

 

 メンテナンスが全て終了し、ロックが何故かすまなそうな表情で研究室から出てきたのは結局その半日後だった。ドアが開く音にはっと顔を上げた
ロールは、すぐさま彼の所へ駆け寄る。
「…ただいま。」
 何時もと変わらない優しい眼で微笑し、彼は呟いた。
「…全部、終わったよ。心配かけてごめんね。」
「もう、平気なの…?」
「大丈夫。」
 ほら、とロックはひらひらと手を振って見せ、その仕草にまた泣きそうになる。
 痛かった、とか、辛かった、とか、そういった表情を彼はあまりすることがない。いつから、彼は不満の代わりに笑うことを覚えたのだろうと考えると、
居た堪れない気持ちになる。

 だが、辛いときに笑うという芸当を、彼女も身につけていた。
 いつ覚えたかは判らないが、笑顔を見た彼が安心した表情をするから、いつの間にかそれが習慣のようになっていた。

 だから、彼女は今回も
「…良かった。」
 と、笑みを浮かべた。心を偽ることは、それを塗り固めるのに似ている。傷つかぬように傷つけぬように、纏った筈の鎧はいつの間にか自身を押し
つぶそうとするかのように増長していた。
 会話をすることによっても沈黙することによっても、ぎりぎりと心が締め付けられるような瞬間が、彼と顔を合わせているときや彼のことを考えるときに
不意に浮き上がってくることがある。それはまるでエアポケットのように、穏やかな時間の隙間に姿を隠しているのだが、それ故に、全貌が何なのかを伺う
こともできないのだ。
 全貌をつかもうとすれば、穏やかさの裏側にあるものを見ることになるのだろうということを、聡い彼女はうすうす感づいていた。
「…で、結局、相手は誰だったの?」
 振り払えない憂鬱を隠すかのように、つとめて明るくロールが尋ねると、
「…多分、愉快犯じゃないかな。襲ってきたロボットは作りはそれなりだったけど、そんなに手が込んでる感じは受けなかった。
  ワイリーナンバーズでもないし、コサックナンバーズでもない。それだけは間違いないよ。」
「そう。」
 その返答に、何故か、安堵すると同時に、酷い疲労感に捕われた。理由もなく戦闘をしようとするロボットの気持ちも、戦闘をさせようとする創り主の気持ちも、
彼女には判らなかった。判らないのは、ロックも同じ事だろう。理由の無い悪意に晒され、心身ともに戦闘を強いられるような状況が英雄の地位にはつきものなのだと、
誰が想像し得ただろうか。
 彼が「ロックマン」になってから、その名前のせいで失ったものはあまりに多く、一人歩きする名声が、様々なものを巻き込んでは彼に叩きつける。だが、今更捨てられる
ような名誉では無いし、ロックが多くの人を守りたいと願う限り、英雄が消えることは無いだろう。その姿が、想いが、どれほど虚構で塗り固められようとも。


『本物のロックマンになる!』
 そう、決して、あのように感情をむき出しにすることは無い。
 彼は、「ロックマンを目指したもの」でありながら、彼女の知る「ロック」とは全く異なった存在だった。
 見た目は、全く同じだったのに、「彼」が浮かべる表情は、ロールの良く知っている彼とは全く違う。彼は常に何かを、全力でもって訴えようとしていた…。それを、
自己の存在を求める叫びだと片付けてしまえばそれまでかもしれないが…。
 あの容赦の無い正直さは、別の誰かを連想させる―。

 そこまで考えて思わず足を止め、ロールは先を行く彼の背中を見送った。
 彼は何時だって彼だ。知らない表情をする所など、彼女は見たことが無い。
 彼自身、求められない姿は見せないように隠しているだろうし、それでこそ彼なのだと、どこかで納得している部分もある。人の理想であってこその彼。完璧な英雄。
…その姿をしていないロックなど、最早想像がつかない。彼女が産まれた時、彼は既に英雄だったのだから。

 そんな彼に、偽らないで感情を表現して欲しいと我侭を言うのは彼を苦しめるだけだろうと、諦めと共に、ロールは小さく息を吐き、ロックと同じ顔をした少年のことを
再び思い出す。

 剥き出しの感情。飾りの無い憎悪。彼の信じた「正義」には一点の曇りも無く、それに向かって無心に突き進む姿は潔くすらあった。
 彼は何処までも自身の正義に忠実で、自身の目的を誰よりも知っている。

 きっと、あの、正直さを―どこかで、羨んでいるのだ。

 彼が、もし―。彼がもし、生き延びていて。
 本当にロックと同じような理想を掲げてくれたなら、どうなっていたのだろう?

 共に手を取って戦える仲間だったら、同じ英雄の肩書きを持てる者が居たら。
 もう少しロックは、自分自身に正直になれたのでは―ないだろうか。