待ち合わせをしている訳ではない。

 ただ。

 待つ人がいるような、そんな顔をしてみたかっただけ。

 

「あー。」
 ウラインターネットに近い廃教会の電脳で暇を持て余し、ハルモニアはうーんと大きく伸びをして、並べられていた木の椅子に
すらりとした体を投げ出した。天上にぽっかり空いた穴と、ステンドグラスから漏れた光が、礼拝堂内に不思議な光の模様を描いているが、
何一つとして目新しいものはない。人がだれもいないというだけで、いつもと全く同じ風景だ。

 殆どボロボロで、廃屋というのが相応しいこの教会は、ウラに近いこともあって、色々なナビの待ち合わせ場所として使われている。
また、様々な物品の取引も行われているようだ。例えばダークチップの取引。例えば盗み出されたレアチップの取引―。
 勿論、そんな物騒な場所を静かに保つためには、一定の規則がある。お互い、絶対に不干渉―それこそがここのルールだ。一回、
ダークチップに溺れ、制御のきかなくなったナビが暴れだしたのをハルモニアは見たことがあったが…そのナビは、一瞬にして回りの
ナビ達から集中砲火を受け、一瞬でデリートされたのだ。
 この場所で会話していいのは、待ち合わせた者同士―つまりは、そういうことなのだ。

(まぁ、人が一人もいないんじゃァ、そんなルールに意味なんかないですがねェ。)
 長いすにのんびりと腰掛けながら内心でひとりごち、手慰みに糸を取り出そうとした時―キィ、と、片隅にある階段が軋みを上げた。
 気配は全く感じられなかった。ゴースト系のウイルスか―。一瞬で全身を緊張させて糸を構え、ルビーとトパーズの瞳を警戒に煌かせて
音の発生源を睨み付ける。
 だが意に反して、階段から降りて来たのは一体の女性型ナビだった。自分自身も、このような場所にいるようなナビではないということを棚に
あげて、彼女は相手を不審そうに眺める。盗品やダークチップを取引しているナビには見えなかったし…ウラインターネットに住まうナビのようにも
見えない。
 恐らくウラのナビと待ち合わせなのだろう、と結論が出てしまうと、途端にまたしても暇になった。全く興味の無い他人の詮索を始めたのは暇潰し
以外のなにものでもないが…結論が出てしまうと、途端に退屈が戻ってくる。
 再び目線を手元に落としたとき、
「…今日は、貸切なのかしら?」
 と不思議そうな声が問いかけてきた。
「いーや、ここは公共の待ち合わせ場所でさァ。」
「…そう。それなら良いのだけど…。今日は、まったくナビが居ないから。」
「確かに、珍しい光景でさァね。…ここは初めてですかィ?」
「えぇ。…一目で寒波されてしまうなんて、私の言動は、何かおかしかったかしら?」
「…ここでは、無闇に知らない相手に話しかけないのがルールでさァ。悪ィコトしてるヤツラだったら、叩き斬られッちまいますぜ。」
「あら…。…ふふ、叩き斬られなくて良かったわ。」
 大して恐怖した様子も無く、ナビはころころと笑って、では、そのルールを破ったのを見つかる前に逃げ出さなくてはね、と、身を反す。
「お邪魔してしまったわね。」
「…?…待ち合わせしてたんじゃないんですかィ?」
「…いいえ」
 その言葉にナビは驚いたように振り返った。考え込むように微かに瞳を伏せて小さく首を振ると、
「…誰かを待っていた訳ではないのよ。」
 と静かに笑い―。来たときと同じように立ち去って行った。


 …ハルモニアの待ち人が来たのは、それからしばらくしてからだった。退屈させたな、と言う相手に対し、
「…いーや、どえらい変わったナビと会ったんでさァ。」
 ハルモニアはククっと笑って…「アンタの遅刻が全ての現況ですぜィ?」と、その肩を軽く小突いてやった。

 

 後に彼女はそのナビと再び再会することになる。しかし、ハルモニアはそんなこと、とんと忘れていたので…それはまた、別の話。