その日、神々の夢を見た―。

 茫漠とした空の広さに、時折耐え難くなる瞬間がある。東屋から夜空を見上げながら、ふぅ、と薔薇の唇から吐息を零し、
彼女―フォーチューンは、硝子の机の上に置かれたタロット・カードを捲った。
 カードの絵柄や、星の動きはあくまでも、決定された運命を知らせるものでしかない。星々よりも更に運命に近い存在―
それはもはや神々、と呼ぶべきだろうが―がいるとするならば、彼らは如何にして自らの運命を知るのだろう?
「……駄目ね。」
 果てしなく広がりそうな問いを小さな笑みで打ち消し、カードを並べる。悩むべきことは神々の問題ではなく―今、自身が
生きている世界のことだ。何故これほど、意識が散るのか―。それはもしかしたら、昨日見た夢の所為かもしれない、
と彼女はふっとため息をついた。


 夢の中で、彼女がいたのは薄赤い靄のかかったテラス。
 まるで劇画のように、その空には様々な神々の物語が浮かんでは消えていく。
 銀糸の髪をたなびかせた<全知神>と、光の当たり具合によっては翠を弾く、艶やかな黒髪の<眠れる大神>の争い―。
 <全知神>に愛された人間の女性の、悲劇的でありながらも幸せに溢れた生涯―。
 信念と共に託された剣の、その行方―。


 勿論、その物語が何処に行き着くかということを見ることは適わなかった。
「あ…」
 無意識のうちに手が動いていたのだろう…指先に触れたカードの感触に我に返った彼女は、驚いたように目を見開いてまじまじと
自らが開いた絵柄を見やる。
 正義、皇帝―そして世界のカード。そこに描かれている人物達の面立ちには、何故か―夢で見た神々のそれと通ずる威厳と美しさ
があった。今までは、美しい図柄とは思いこそすれ、そこに何かを感じ取ったことは無かったが―。度重なる重圧に、心が何かに
縋りたいと悲鳴を上げているのだろうか、まるでその中に、彼らの世界が存在しているような錯覚を覚えてしまう。それともこれは、
夢の続きなのだろうか?
 
「…セイクリッド…ダーウェル=アフラロイド…」
 曖昧な感覚の中、「世界」のカードに描かれた青年に良く似た神の名前が、自然と唇をついていた。

『運命が存在しないなら、築き上げるしかない。僕達自身が運命に踊らされているなら―』
 暮れなずむ空を思わせる高貴な色合いの瞳を煌かせ、青年…セイクリッド、ことテルゼは自分より僅かに年若い相手に訴えかけていた。
彼は天魔と人間の間に生を受けたハイブリッドで―その出生故に、様々な憶測と偏見に晒されてきていた。だが彼自身はそのことについて
恨みを抱くわけでなく―負の思いは全てその端正な美貌の中に押し込めて、「地球」と呼ばれる場所で穏やかな日々を過ごしているらしい。
 この会話も確か、夢の中の光景だったのだが、その真摯な声と言葉は―目が覚めて時間が経った今でも、何故か鮮明に意識に焼きついていた。
『それならば―抗うまでだ。』
 ざぁっ…思い返した瞬間い、雨雲の到来を告げる湿気を孕んだ風が吹き、庭に咲き乱れる薔薇の香りが一層強く漂う。
 揺られた薔薇の、葉擦れの音はまるで、『ちょっと、格好よすぎるかな?』と、その後続いた青年の屈託のない笑い声のように耳に届いた―。


 急激に伸びてきた黒い雲が運命を知らせる月と星を覆い隠し、それに倣うかのように、フォーチューンは運命を告げるカードを仕舞い込んだ。
夢の中とは言え、彼の言葉に導かれた気分だった。

 自らの名は「運命」の意味を持つ。
 そう―。如何に示された運命の先行きが不安であろうとも―。その輪を回すのが自分自身であれば、乗り越えられないことはない筈だ。
「……」
 微かに微笑みを浮かべ、彼女は決然と歩き出す。…此処暫くその美貌を曇らせていた憂愁の色は、今は、何処にも存在していなかった。