怖くて、ずっとずっと、してあげられなかったことがあった。

 

(ずっと、母親であることに失敗し続けていた)
ゆらゆらと闇に揺れながら、フォーチューンはぼんやりと呟いた。
まるで視力を喪ったかのように、視界には何も映らない。

…最早自分の形すら曖昧だった。

全身を間断なく巡る苦痛だけが、意識と自分の姿を脳裏にフィードバックさせる。

 

 

 

痛い。

 

 

 

それが伝えてくる自らの姿に、また意識が遠のきかける。

 

せっかくあなたを。

抱けると思ったのに、ね。

 

そう…腕が、無い。
痛む歯に触れるような思いでそろりと腕をあげると、微かな水の音に伴い、眩しいほどの白さが目を焼いた。
翼に見えたのは一瞬の幻覚で、すぐにそれが鎌であることが認識できる。
失った腕の代わりのに裏の王から貸与された、対の鎌、ベリアーとトロメア。それと同時に得たのは、
相手の力を借り受ける能力と、自らが抱える余分なプログラムを「獣化」という形で一時的に発露する能力。この二つの力は
彼女がこの電脳世界で生きていく為に必要なものだとセレナードは告げた。元々この世界とは相容れない存在である彼女は、
他者のプログラムパターンを借受け、真似ることで自らの形を保つのだと言う。
そして今のこの姿は、裏の王の腹心の力を借り受けたものだ。ヤマトマン…と名乗った彼は、セレナードの命に素直に従った。
彼が、この我侭をどう思ったのかは…判らない。
だが、そんなことを考えても仕方が無い。彼の思惑はどうであれ、実際力を貸りたのは事実だし、それに報いようと思うなら…
一刻も早く、自らの我侭を終わらせて、「―――――」としての任務に戻るべきだろう。
そうこれは、唯の我侭。息子を捨て続けてきた情けない母親の、せめてもの罪滅ぼし。

 

 

ずっと、あなたが怖かった。

人が殺せる貴方が怖かった。私が命じさえすれば何のためらいも無く破壊を行うあなたが怖かった。

殺しては壊れていくあなたが怖かった。いっそ憎くさえあった。

だから―。逃げ続けた。

でも、もう失敗しない…そう、決めたから。

 


動かすたびにズキズキと痛む腕を叱咤するように、自らを闇から引き抜く。今まで浸かっていた生温い闇を踏みしめ、今度はプログラム
の流れで自らの身体を確認する。メンテナンスなどとっくの昔に終わっていた。どの程度の能力なのか、どのくらい戦えるのか、全ては
滞りなくきちんと意識に堆積していく。不甲斐なさを蹴り飛ばすように、目の前の闇に向かって鎌を一閃させた。

 

「お疲れ様です。」
切り裂けばそこは、蓮が咲き乱れる湖。出てくることを知っていたのか、セレナードは大して驚いた様子も無く微笑する。
「バグチェックも、問題は無かったようですね。」
「ええ。…アンティエルドは?」
「ここに」
セレナードはふっと微笑むと、虚空を指差した。明滅を繰り返す小さな光が、その指先に止まっている。
思わず手を伸ばしかけ、腕が鋭利な刃物になっていると気づいてびくりと引きかけると、光は自ら飛び込んできた。
一瞬で姿を現した小さな妖精が、無邪気に笑う。
『ママ。』
その時の衝動を、抑える術を知らなかったから、涙を止めることもできなかった。
頬に暖かいものが触れる。
『ないちゃダメだよ、ママ。僕はちゃんと、ここにいるんだから。』
聞きなれたものとは違う幼い声音。だが紛れもない正気の響きに、精一杯の虚勢でそうね、と頷いた。

 

 

 

この腕があなたを抱けなくても。

あなたは、私を疑わなくていい。

 

 

 

 

 

あとがき
裏を読んだことがある方はなんとなく予想がついてるでしょうが、
Xシリーズのフォーチューンは実はアンティエルドが苦手でした。(っていうかアンティエルドがアレなキャラすぎた)
ゼロとかゼクス時代に何があったのかはあえて伏せておきますが、エグゼの二人は、きちんと親子としてやり
直そうと頑張っている二人です。旅の目標もそのあたりにありますね。

ちなみに彼女の役目はまだヒミツです。文字数カウントすればピンと来るでしょうが、ね(笑)