もしあの日あの時あの場所に居なければ。

      君が、あの人を選ぶことは無かったのでしょう。

      それは偶然だったのかもしれないし、必然だったのかもしれない。

      でも、だからと言って「出会わせてしまった事」を悔やんではいない。

      これが現実。君の幸福を願った僕が、僕自身が招いた現在。

      だから、君の幸せだけを願うから。

      どうか、僕の代わりに笑っていて欲しい。

      この、偽善者の英雄の為に・・・・

                                              02 深遠なる蒼の底で

     第一章  BIUE BLACK
     水中というものは、往々にして不安定なものだということを、ロックは実感した。
     普段ならここのあたりで浮力の所為で浮き上がれる筈なのだが、今回は海がしけてきたこともあり、浮くことが無く
    ただただまっさかさまに海中へと飲み込まれていく。どうしてこんな不安定な状態で上下感覚がわかるのかというと、
    やはりそれは水面の方が明るく見えるからだろうか。
     水面に勢いたよく叩きつけられたショックで、少々ぼんやりとしながらロックはそんなことを考える。
     しかし、そんな半放心状態のロックを覚醒へと引き戻したのは、随分と遠くに見える黒い影だった。
     水中で散り散りに散って、どこか青みを帯びで煌く銀糸。水中ではバスターの威力が殺されるため、幸か不幸かまだ
    攻撃を仕掛けられることは無さそうだ。しかし、いくら水の中でも、近寄って撃たれればそれなりにダメージは受ける。
     ロックはくるっと身体を反転させ、少しでも距離を離そうと泳ぎだした。目指すのは、例の沈没船だ。
     ロールを、訳のわからない「巨大ミミズ」の巣窟に連れて行くのは遠慮したかったが、フォルテとどちらが危険か、と比べて
    フォルテの方が安全だとは、ロックにはどうしても思えなかった。

    
    
一方フォルテは、ゴスペルと共にロックを追っていた。
     水深が深くなるにつれて光が届きにくくなるので、ロックの姿は確認しづらかったが、彼に抱えられている少女の金色の髪が、
    僅かな光を弾いて時折煌く為、どこにいるか識別するのは別に大変な事ではなかった。
    「あんな格好の的、ぶら下げて歩く奴もそうそういないだろうが・・・」
     呟いたつもりだが、口から吹き零れたのは空気の泡だけだった。海面へと昇っていくその泡を、フォルテは何気なく目で追う。
    左右にブレながら、やがてそれは消えていった。もうかなり深いところまできているのだ、と今更のように気づく。
     そういえば、随分身体にかかる負担が大きくなったような気がする。空中にいるときより全身が重く感じるということは、
    水深はかなり深い。そろそろ、地面に着くはずなのだが。
     
     ここまで来て、フォルテは何故ロックがあのビーチにいたのか、やっと気づいた。
     たぶん、政府かなにかの委託を受けて、ワイリーが海中を巡回させていた船を調査するのだろう。

    
それならば、そこで決着をつければよいと、フォルテは口元で笑いを浮かべ、水を掻く腕に力を込め、宿敵を追う。
     

    
待っていろよロックマン。あそこがお前の墓場だ・・・・・!!

     目的地にあたる沈没船はまだまだ遠く、深い青に阻まれてその姿さえ確認できなかったが、フォルテには確かに、
    その船が見えていた。
     以前にも一度見たことがある、彼の生みの親の作った海中を巡回する要塞。
     傲慢なまでに白い、白以外の色の存在を許さない強固な白色と、僅かに届く光に揺らめく蒼。
     一点のしみもありえない、潔癖なその船体は、確かに人類の英雄の墓場には相応しいかもしれない。
     そこまで考えて、フォルテはふと先刻の少女の顔を思い出した。
     ロックそっくりの表情をするのに、どことなく兄に比べて存在感に乏しいような、そんな人格。
     
     もしかしたら、あの全てを拒む白が似合うのは、あっちのほうかもしれないな・・・

     何故ロールの顔を思い出したのか。
     彼自身は全くそんなこと気にも止めなかったのだが、それはやがて変化していくことになる。
     無論、今はただひたすら沈んでいくだけだったのだが。その状況は何故か、最近はやっているバンドのとある歌詞を思い
    出させた。

 

     落ちる 堕ちる 堕ちていく・・・・・
     どこまでも深く 昏い この深淵へと・・・・・

 

    「えっ・・・・?」
     ロックはきょとんと、ロールを見やった。一瞬だけ、呪詛の言葉にも似た彼女の声が聞こえたような気がしたのだ。
    「ロール、ちゃん?」
     無論返事は返らない。水中の所為か幾分顔色が悪いように見えるものの、表情そのものに変化は全く無く、ロックは
    安堵するべきか心配するべきか悩む。
    (外傷はないからそんなに心配することはないと思うけど・・・・)
     どうしてこんなに不安なのか、ロックにはわからなかった。
     彼女の彼女らしさは、その優しい表情といきいきした瞳にある。フォルテが違和感を覚えたのも、ロックが不安になるのも
    ただ単に瞳が伏せられているだけだからだ。
     今のロールには、人を和ませる穏やかな視線も何もない。只感じられるのは、あどけなくはあるものの造形物特有の
    整いすぎた冷たさのみだった。
    (まるで・・・・生きていないみたいだ・・・・)
     無論、彼らロボットに生死の観念があるわけではない。ただ、余りにも見た目が人間に近づきすぎたロボット・・・・・ロックや
    ロールなどの場合、このような場合は「起動停止」というよりは「死んだ」という方がしっくり来る、ということは否めないものだ。
     どこか労わるような笑みを浮かべて、ロックは彼女の顔をみやる。
    「大丈夫だよ。」
     それは、「死ぬ」という単語を吐いた自分に対する激励のようにも聞こえた。
     しかし、その束の間の平穏は破られる。
     
     オォォォォォーン・・・・・・
 
     不意に、ロックは身を強張らせた。
    「来る・・・・!!!」
     音と同時に水流が襲い掛かってくるのを感じる。
     目を閉じそうになるものの、手をかざして片目で前をみる。
     遠くから、ものすごい速さで何かが接近してくるのを確認して、彼は完全に硬直した。大きさは60メートルほどだろうか、龍
    の形をしたロボットだ。
     先ほどの咆哮はこれだったのか、と納得してロックはバスターを構える。しかし、それは随分先で動きを止めた。
    「!?」
     そして、大きく顎(あぎと)を開く。回りの水がみるみるうちに、飲み込まれていく。もちろんロックも例外ではなく、抵抗も許さ
    れずに吸い込まれていった。

 

    「!!!」
     もちろんその光景はフォルテも見ていた。
    「行くぞ、ゴスペル!!」
     彼の位置は残念ながら渦の範囲外だったらしく、フォルテはゴスペルブーストで追おうとゴスペルに声をかける。
     同化する瞬間、どうして最初から俺を使わなかったのか、というゴスペルの非難が流れ込む。
    「そんなもの・・・じりじり追わなきゃ楽しくないだろうっ!!!」
     力を溜めるかのように、背中が一瞬丸くなる。次の瞬間、バー二ア最高出力で、フォルテはそれの口中へと飛び込んで
    いった。

                                                     

 

    第二章 lost ship
     ピチャン・・・・ ピチャン・・・・
     僅かな水音だけが、連続して何度も何度も木霊する。無機質な四角い箱を思わせる部屋の中、ロックはゆっくりと瞳を
    開いた。
    「良かった・・・・」
    「ロールちゃん・・・・」
     最初に彼の視界に飛び込んで来たのは、ロールの顔だった。心配そうに覗き込んでくるその視線から、随分長い間気を
    失っていたということを彼は悟る。
    「良かった・・・・・」
     ほっと息を吐いて、ロックは呟く。
    「それは私の台詞でしょ。いつまでたっても目を覚まさないから本当に心配したんだから。」
    「はは、ごめんね。でも良かった・・・・ロールちゃんが目を覚ましてくれて。」
     本当に安堵した様子で微笑むロックの顔を、不思議そうにロールは見つめた。
    (あのままずっと、目を覚まさなかったらどうしようかと思ってたから)
     唇にのぼらせようとした言葉は、音になる前に消えた。穏やかに見えるものの、言いたいことを何も言わずに笑いだけを
    交わす二人の姿は、どこか寒々しささえ感じさせずにはいられなかった。
    「・・・・・・そこまでだぜ。」
     不意に掛けられた声に、二人はフォルテの存在を失念していたことに気が付く。こちらに掌を向けて攻撃態勢を取るフォルテ
    に、ロックは応戦しようと起き上がろうとするが、先ほど色々とあったせいかエネルギーが切れかかっているらしく、まともに
    言うことを聞いてくれない。
    「・・・・・・」
     よろめきながら身を起こすロックの異常に気づいたのか、ロールは僅かに表情を強張らせて彼を見やる。
     大丈夫だよ、と彼女に微笑みかける笑顔すら苦しそうな色が混じっていて、上半身だけ起き上がらせたものの呼吸は荒い。
    「さっさと起きろ。言っておくがあんまりのろのろと過ごすのは身の破滅だぞ。」
     脅迫するような声音で告げるフォルテからロックを庇うように抱(いだ)きながら、少女はきっと蒼い瞳を上げて言い放つ。
    「・・・・・・卑怯よ!」
     射抜くような視線に、一瞬たじろいだのか紅い瞳が窄まる。剣呑な表情とは裏腹に、次に彼の唇から零れた言葉は、
    情けないものだった。
    「脅迫でもしないと、起きないだろこいつ。」
     脱力。の二文字を浮かべて茶色と金の髪がかくんと沈む。
    「・・・・・・・そういえば、そういうキャラだったよね。フォルテは」
    「人質だ人質だ喚きながらも、結局人質いびりはしないし手もださないいい人なのよね。」
    「なっ・・・何の話してるんだよお前ら!!」
    「変な所で几帳面っていうか潔癖症なのよね。」
    「考えてみれば、フォルテが無抵抗な僕を壊して喜ぶ訳ないのにね。」
     とたんに安堵モードに入るロックとロール。フォルテは銀色の髪を逆立ててわなわなと指を震わせる。
    (なっ・・・なんなんだこいつらの緊張の無さは・・・!!)
    「それだったら、別にフォルテをここに置いていっても大丈夫よね?」
     そんなフォルテをよそに、残りの二人は会話を続けている。どうやら、フォルテがロックに奇襲をかけるという懸念は今の
    発言で吹っ飛んだので、この後いかにして、ロックを動ける状態にするか、というのが議題になっているようだ。
    「え?うん・・・・ロールちゃん、何か考えでもあるの?」
    「あるあるvこれだけ大掛かりな船だったら、きっと動力装置位あるわ。それを探してくるから。」
    「だ、駄目だよロールちゃん!ここは大ミミズの巣?なんだよ!」
     慌ててロックは立ち上がった彼女を引きとめた。
    「それに、まだここがドクターワイリーの要塞じゃないって決まったわけじゃないし・・・」
    「そうだぜ。」
     フォルテの声が会話に割り込む。その瞬間、ロックの表情はやっぱり、といった感じに、ロールの表情はえ?という感じに
    変化した。
    「じゃあ、どうしよう・・・」
     このままでは、エネルギー切れでつぶれてしまうのは目に見えている。しかし、彼女には戦闘能力というのは全く無かった。
    のこのこ外へ出て行ったところで、原型をとどめないスクラップになってしまうというのも、また現実。
     どうするべきかと思案する彼女の腕を、不意に誰かが引いた。
     無論ロックではない。
     容赦なしの、乱雑で武骨な掴みかたに、ロールは眉根を寄せる。
    「とりあえず、エネルギー取ってきたら容赦しないぞ・・・・ほら、行くぞ!」
    「痛い!」
     悲鳴をあげる彼女には構わず、半ば引きずるような形でドアに向かう。彼女を連れて行くという形で人質にとっておけば、
    ロックがいなくなることはまず無いだろう。其の上でロックを回復させ、今日こそ決着をつける・・・フォルテには、そんな
    思惑があった。

    誰の返事も待たずに、彼はそのまま少女をひきずって部屋の外へでてしまう。
    「ちょっ・・・ちょっと待って!!」
     届くわけもないと思いつつも、ロックは叫んでしまう。フォルテ+ワイリーメカという最悪のパターンの中にロールを巻き込ん
    でしまったのは、他でもない自分自身なのだ。しかし、そんなロックの思いとは裏腹に、無情にも白いドアは閉まる。
     防音効果でもあるのだろうか、ドアが閉まった瞬間から、その部屋に音は無くなった。
     いっそ不気味なほどの沈黙。雑音など全く無い、白い無音の世界。
     こんなに音がないと、聴覚に異常が出てしまったのかという恐怖すら生まれる。
    「・・・・・・・・・」
     しかし、そうではなかったようだ。仕方なく横たわる彼の耳に、耳障りな羽ずれの音が届いた。
     先程まで、只の少年のものだった表情が、瞬時にして戦慣れしたものへと変貌を遂げ、澄んだ濃青の瞳がきつい光沢
    を帯びる。
     本能、とも呼べそうな感覚よりもっと深いところで、危険信号がなっているのを彼は感じた。
     左腕・・・・・動くかな。


    一方、部屋を出た二人組みは今までの部屋とは打って変わった場所に出た。先程の無機質な部屋とは違い、こちらの通路
    には幾分なにかの気配があった。
    「・・・・・・・・・・」
     もちろん、好意的なものではない。どちらかと言えば、敵意剥き出しといった感じだろうか。
    「・・・・・ねぇ。一応これとかって貴方と兄弟みたいなものなんでしょ?じゃあ、私達の周りで気配を伺うのはやめて・・・・・
     って、伝えられたりできない?」
     フォルテは無言で不愉快そうに瞳を細め、半眼でロールの方を見やる。
    「・・・・・・ふざけるな。」
     そう言うなり、指先が彼女の頤を捉えていた。ぐい、と半ば強制的に顎を持ち上げられ、ちょうど二人の視線がかち合う。

    ぎり、と指先に力が篭り、顎が砕かれそうな痛みに柳眉が歪む。
    「うっ・・・・・」
     喉の奥から零れるような苦痛の声にも構わず、フォルテは一言一言噛み締めるように言葉を叩きつけた。
    「いいか、俺を、あんな雑魚どもと一緒にするな。こんどそんなこと言ったら、その口から顎まで、容赦なく
     引っぺがしてやるからな。」
     その言葉が冗談ではないということは、顎を辿って口内にかかった指先から判った。この相手は、その気になれば
    すぐさま自分を鉄屑に変えることが出来るのだということを改めて再認識し、ロールは背筋を凍らせる。
    「と、とにかく離してよ!」
     幾分不明瞭な発音だったものの、どうやら通じたらしい。顎を拘束していた手が離れた。
     これで、顎ごと顔の下半分をもがれるという悲惨な状況は回避できた・・・・と、彼女は軽く息を吐く。
  
     人間と違って、出血多量で即刻死亡、という落ちはないものの、決して愉快な状態ではないものだ。顔半分が存在しない
    不気味な容貌で動きまわらなければいけないし、痛みだって生易しい物ではない。
    (判ってて脅迫してるのかしら・・・・)
     どちらにせよ、危険は常にあるということを忘れてはいけないのだ。考え事をするときの癖で口元に手をやったロールは、
    ふいに顎を伝う粘っこい感触に気づき、何気なく手の甲で拭う。もしかしたらどこか切れたのかもしれない。
     人間に近い構造で出来ているため、爪で皮膚を傷つけるなど別に驚くほどの話ではない。ましてや歯の次に殺傷能力が
    あると言われている親指の爪なら尚更だ。しかし、今手に付着したのは、オイルの赤い色ではない。
     青い。
     丁度紺色の絵の具を多量の白で解いたような、不自然な青だった。
    「・・・・・・・・・・・フォルテ。」
     先程、あれほどの恐怖をあたえられたにも関わらず、助けを求められるのはその相手しかいない。しかし、なにかの気配
    はもう頭のすぐ上まできている。上を向く勇気は起きず、ロールは幾分震えた声で、彼の名を呼んだ。
     その声に反応して振り返ったフォルテは、それを見てにや、と笑う。
    「まぁ後10分くらいすれば、話は通じるんじゃないか?お前が言うには、俺はそいつと話できるんだろ?」
     無論あと10分間、それが攻撃を仕掛けてこないという保証はないと見越しての発言だった。
     先ほどの怒りは、彼には無い。ただしてやったり、という優越感だけがそこにはある。
    「・・・・・・・・・・助けて。」
    「じゃあ言うことあるだろ。襲ってくれって頼んでみるか??」
     怒っているのかそれともからかっているのかはわからなかったが、ロールはふと不審に思った。
    (この人、こんなキャラだったけ・・・?)
     先程の海辺で見た、あの残虐さがいまいち感じられない。幾分子供じみている、とも言えそうだ。
    「さっきのは取り消すから。前言撤回!」
     気配は右斜め後ろにある。性能が低いメカ特有の、僅かなきしみが彼女の耳に届く。
     フォルテが、跳んだ。助走もなにもなく、無造作に跳ぶ構えだったが、その飛躍力、速度はすさまじく、彼が跳びついでに
    放った手刀によって、天上からのびていたその蛇を模したロボットの胴体は切断されて吹っ飛び、あたりに青い液体を
    撒き散らした。
     その光景に笑みを浮かべ、フォルテは切断する際に手についてしまった液体を舐め取る。その様子はまさに、獣だった。
    赫の瞳に、僅かな狂気すら認められないのが却って恐ろしい。真下にいた為、血のシャワーを浴びてしまったロールは、
    不意に彼を見てしまってそう思う。
     

     彼に違和感を覚えたのはそれだけではなかったが、その後は大して苦労せずに二人は船の中を探索する事が出来た。
     幾つもの部屋があったが、どれもこれも無機質な白い箱――最初にロックとロールがいた部屋とほぼ同じ造りで、
    一体この船はなんなのだろうか、と不信感すら漂わせる。
     何個目の部屋に入っただろうか、フォルテがうんざりといった体で息を吐き出す。
     壁に向かって、手を伸ばして立つ。
     何をするのかとロールは訝しげに彼の方を見やった。
    「・・・・・・・・・・・・・・」
     風もないのに、銀色の髪がたなびく。壁に向けられた掌に、みるみるうちに紫紺の光があつまりだした。
     ひゅ。
     実際そんな音がしたわけではないが、閃光が空気を横切る感じは、そんな鋭いものだった。それが壁にぶつかった瞬間、
    轟音とともに、目の前に立ちはだかっていた白い壁が消える。
     そして、その先には。

                                                                
     

     第三章 FALL
    
「な・・・・何これ・・・・・?」
     ロールはわなわなと唇を震わせて呟いた。
    「はめられたみたいだ、な。」
    「こんなの、詐欺よーっ!!嵌められたなんて話じゃないわ!!」
     細い指先が、今まで壁のあったところを指す。
     ぶち抜かれた壁の向こうは空洞で、首を突き出してみると、丁度逆さにした巻貝のように下のほうに行くにつれて狭く、上
    に行くにつれて広くなっている。つまりロールとフォルテは、今までずっと少しずつしか下がっていない道を、もう少し、と
    言い聞かせて気長に下っていたのだ。
     今居る位置は、まだ四分の一にも満たなかった。もしフォルテが行動を起こさなかったら、二人はもっと長時間彷徨う羽目
    になっていたのだ。
    「どうやら、あそこみたいだな。」
     フォルテが半分身を乗り出しながら呟く。
    「え?何も見えないわよ?」
    「馬鹿、この状態で見えるわけないだろう。ちょっと遠距離モードに変えてみろよ。」
    「・・・・・・・」
     黒目がちの瞳が細められ、瞳孔が猫のそれのように拡散する。そうやってみると、非常に冷たい、傲慢な表情になるという
    事にフォルテは気づいた。それと同時に、どこか幽艶な表情にも見える。
     先刻、気を失っているときと同じ表情だった。白磁の肌と伏せ気味の睫の所為で、陶器人形を思わせる。冷たい、何も感じ
    ない、綺麗な綺麗な傲慢な人形・・・・
    (綺麗、かもな。)
     不意にそんなことを思ってしまい、フォルテは疲れてるな、俺、と自嘲した。
    「で、どうするの?」
    「ん?あ、あぁ・・・。・・・・・・飛び降りるか。」
     は?とロールが聞き返す前に、手を引っ張られて無理やり立たされていた。不平を言う暇などある訳も無く、
    次の瞬間、身体が宙に浮いていた。
     ふわり、と体重が上に昇華されるような、体内全て天に引き上げられるような逆流感。人間ならきっとこれを嘔吐
    感というのだろう。それなのに、全身は下へ下へと落ちていく。
    「!!!!!!!!!」
     このまま、叩きつけられてスクラップになってしまうのか。そんな疑問が胸を過ぎたものの、ゴスペルの存在を思い出す。
    「ゴスペルは?」
    「・・・・・・・・・・・・・・!!そういえば、居なかったな・・・・」
    「えっ?もしや忘れてたの?
    「さっき、探し物をしておくといって・・・・・・・」
     無論探し物とは、強化パーツのことなのだが、ロールがそれを知る術は無い。だがそれよりも重大だったのは、如何にして
    墜落のショックを凌ぐか、という事だった。
     激突まであと15メートル・・・・14・・・・13・・・・12・・・・11・・・・
     フォルテは顔を歪めて僅かに舌打ちした。ロールはぎゅっと瞳を瞑り、現実から逃げたいと言うかのように首を振る。
     その瞬間、紫の閃光が彼らの前を通過した。
     牙を剥いて笑うその姿に、フォルテもやや表情を緩める。
    『見つからなかった』
     同化した瞬間、そんな意識が頭の中に流れ込んで。
     次の瞬間、加速は止まっていた。
    「痛・・・・・・ッ!」
     掴まれていた腕が反動によって体重を支える形になり、ロールは悲鳴を上げる。しかしその中には微かに安堵した響きが
    あったのは、彼女の爪先すれすれに地面があったのが理由であろう。危機一髪の所で、二人は救われたのだ。
     そしてその二人の目の前には、地獄の門を思わせる、悪魔が大きく口を開けた様を模した巨大な扉が口を開けていた。
     

     その頃、ロックは一人で無数の羽虫と対峙していた。
     特に攻撃を仕掛けてくる気配は無さそうだが、そのメカの胴にあたる部分には全てワイリーマークがついている事を踏まえ
    ると、決して今の状態は好ましいとは言えない。
    (今の僕は、何も出来ない。)
     その事を、彼は痛いほど自覚していた。先ほど、部屋のど真ん中に横たわっているのは余り得策では無いと判断したので
    背後だけは確保できる部屋の隅までは移動したのだが、それが限界だったらしく、壁に背中をもたせかけたまま動けなく
    なってしまった。まだ思考するだけのエネルギーは残っていて、それを使って動くことも出来たが、それを使い切ってしまう
    と意識不明、さらに時間が経てば内臓されているメモリーの電源も無くなり、「ロック」という人格は初期化されてしまう。
     フォルテとロールが戻ってくるまでは、可能な限り電源を保存しておくことが必要だった。
     部屋の壁からは、多分充電用であろうケーブルが延びていたが、そこには電気が通っていない。
     ふと、胸の内を疑問が過ぎる。
     あの二人は、無事なのだろうか。
     それは、別に自らの命を惜しむわけでもなく、むしろ自己犠牲にも似た純粋な想いだった。
     だが、彼はまだ気づかない。
     どうして、それほど心配なのか。
     自分の内に潜む感情に、彼はまだ気づいていない。
     気づかない方が幸せな感情なのかも、しれなかった。

                                       02 深遠なる蒼の底で 終わり。03に続く。