存在意義は実に曖昧で。

      その中で精一杯足掻く姿が、俺と似ていたのかもしれない。

      惨めな犬でしかなくて、それでも泥の中を這いずり回って、

      その姿が・・・・似ていた。

      俺たち二人は、「あいつ」が居なければ所詮存在を確立できないんだ。

      どれほど否定しようが、結局。

      それだけが存在意義なんだ。

      呪うように強く想う、ただそれだけが。

                                         03 耐えられない存在の軽さ

     

     第一章  addiction
      先程、地獄を模したデザインの門を二人がくぐってから、悠に10分。フォルテとロールは、沈没船改めワイリーの船
     の最深部ともいえる所に辿り着いていた。
      コントロールパネルが幾つも並んでいて、そして部屋の中心には、円筒形の柱が一本立っている。
     (あれか。)
      そう口内で呟いたフォルテの脇を、小柄な影がすり抜ける。ロールは既に、この部屋にエネルギーを充蓄する物は
     無いと判断し、最後に中身が判らないパイプを試してみようと思い立った様だ。
      軽い動きで、一段低くなっているパイプの根元に飛び降りる。躊躇う事なく、解除するためのスイッチを・・・・・
     「やめろっ!!」
      フォルテが叫んだのと、どちらが早かったか。
      甲高い絶叫と共に、ロールの身体は部屋の反対側にあるパネルに叩きつけられた。
      ワイリーナンバーズ以外が触れた為、排除装置が作動したらしい。バリアが展開されると同時に、パネルの上にある
     ディスプレイに次々に電気が入る。
      まるで、船が活性化した様だ。事実、彼らは知らなかったものの、部屋の幾つかで、何かが目覚めた。そしてロックの
     回りを囲んでいた虫型ロボットもまた、戦闘モードに突入したのだ。
      フォルテは必死の形相で、パイプのロックを解除しようとしていた。しかし、どうやら一回排除装置が作動してしまった
     所為か、全く信号を受け付けないようで、いくらボタンを押してもチップが出てくる気配は無い。
     「くそっ!」
      苛立ったように舌打ちすると、フォルテはやにわにパイプを殴りつけ内部に手を突っ込んだ。配管などを無造作
     に引きずり出すと、その中に、蒼紫に煌く硬質な物体があった。特殊コーティングを施してある所為で貴石めいた光沢
     を放っているが、紛れも無い、強化チップだ。
      とりあえず装備しておこうかと、フォルテは、人間が脈を測るかのように手首に指を当てる。そのままスライドさせると、
     皮膚の一部がずれて接続ポートが現れた。その手でポケットの中からチップを取り出す。
      何か判らない人が見たら、目玉を飛び出させる位よく出来ている、宝石のレプリカだ。大きさは丁度消しゴム位、厚みは
     消しゴムより一回り大きい。色は、いかにもワイリーが好みそうな紫紺で、全体的にアメジストを思わせる造りだった。
      無論、フォルテにそういうものを愛でる感性など望むほうが間違っている。彼は何の感銘もうけないような表情で、指先
     に力を込めてコーティングを割った。中から、半永久的にエネルギーを供給する為の成分が零れ、空気に溶けて消えた。
      この成分は、ワイリーが以前宇宙から飛来した隕石から発生するエネルギー成分を研究し、模式的に再生したもので
     ある。何も無い所でも、密度が高ければ勝手にエネルギーを作り出すという優れた代物だ。
      ワイリーはこれをワイリースペシャルジーニアスエネルギーと名づけるつもりだったようだが、それは余りにも長いので
     普段は簡潔にZエネルギーと呼ぶことにしたらしい。空気に触れると段々減少するという性質以外は略完璧なエネルギー
     だということ以外は基本的に謎だと言える。しかし、便利さにかまけて彼はすっかり忘れていたのだった。
      このエネルギーは、元は宇宙から飛来した悪のエネルギーであると言うことに。
      ワイリー以外、誰もこの事を知らない。
      本人ですら忘れているのだから、誰がその危険性を唱える事ができるのだろうか。
      そんなこと等露知らぬフォルテは、取り出したチップを組み込んだ。
     「・・・・・・・・・・・・・うっ・・・」
      彼の後ろでロールが、強く打ちつけた頭を押さえながら立ち上がる。
      気づいたか、と嫌味の一つもかけてやろうかと思って、フォルテは振り返った。
      その刹那。
      
      ドクン。

      目の前が真っ赤に染まった。真っ赤なフィルターが掛かったその視界の向こうに、ロールが立っている。
      別に、フォルテに攻撃を仕掛けようとかそういう構えではないのだ。
      しかし、彼には何故かその姿が、鬼女にも見えた。
     (・・・・・・・・・殺りたい。)
      ・・・・・・・・・殺らなきゃ、殺られるんだ。
      脅迫観念、とでも言おうか、白昼夢にも似た妄想が目の前に広がる。
      喰われると衝動的に感じたのは、それでも妄想ではなかった。
     (食い殺される。)
      喰い殺さなきゃあれは死なない。
     (殺せ)
     (殺せ)
      背筋を突き上げるような断続的なイメージに、フォルテは耐え切れず膝を付いた。
     「うぁ・・・・・・あ・・・・・・」
      瞳孔が拡散する。流石に人間ではないので汗は流れなかったが、もし人間だったら冷や汗をぐっしょりかいていただろう。
      もはや彼の瞳には回りの景色は見えてはいなかった。
      眼前に広がるのは、真っ赤な血の色。誰の物か判らない引きちぎられた四肢。
      頭の中から呼びかけてくるような声は、幾重にも重なって言葉としては成り立っていない。
     「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
      がたがたと震える全身に、今組み込んだばかりのチップが効果を表そうと、全身の神経を抉りながら這い回る。
      苦痛、か。それとも。
     『フォルテ!』
      誰の声か。ゴスペルかもしれないが、ロールだったかもしれない。

      駆け寄った対象に、衝動的あるいは本能的な恐怖から噛み付いていた。
      甲高い悲鳴から、今噛んだのは雌の方だ、と、彼は知った。

      鋭い犬歯が皮膚を食い破るとき、それは確かに安堵であり、快感だった。

     「フォルテ!離せ!!」
      ゴスペルがそう叫んだ。だが彼にはその声は届かない。むしろその獣の声に反応したのか、ますます顎に力を込め、
     噛み千切ろうと歯を立てる。丁度、玩具を放しなさい、といわれてますます興奮する犬そっくりだった。
      むしろ、うなりださないのが不思議なくらいだ。
      ロールは必死で相手を引き離そうと顔を引きつらせて男の肩を押す。
      不意に、牙が外れた。
      肩で息をつきながら、辺りを見回すフォルテの姿がある。
      先程までの幻想はもうどこかへと消え去っていた。彼は形容しがたい表情を・・・・・困惑したような表情を浮かべて、
     そして呆然と、今、自分が攻撃した相手の肩に触れた。
     「あ・・・・」
      白いジャケットは、左半分だけ緋色に染まっている。決してデニム生地のような厚手の生地ではないのだが、
     見事に牙の跡がついていた。無論、その下の肩も無事ではない。
     「・・・・・・・チッ・・・・・!!」
      上着をずらして肩を見たその口から、うめきとも取れる舌打ちが零れる。
      貫通、ともいえるくらいの大怪我だった。
      今まで何も言わなかったロールの顔が、それを見てさっと青褪めた。
      これだけの大怪我なのに、苦痛を訴えない彼女に訝ってフォルテはまだよく回らない口を開く。
     「とにかく、大丈夫か?」
     「大丈夫、致命傷じゃないから・・・・・・」
      顔色が悪いのは傷の酷さを確認したからの様だ。人間ではない彼らの場合、オイルが大量に流出した事だけでは、
     メモリーの消去・・・・死には至らない。ロボットの原動力はあくまでも電力であり、オイルはそれを全身に行き渡らせる、
     要は酸素と赤血球のような役割を果たしているのだ。
      彼の口内には、鉄の様な苦い味が残る。
      誰が傷ついた、という事よりも、自分が自分の意志とは無関係に怯えていた、という事がショックだった。
      だが何故大丈夫か、と聞いた理由は、彼自身、判らなかった。
      もしかしたら、人が傷つくのをこれほど間近でまざまざと見たことが無かった所為かもしれなかった。
      表面はそうは見えないものの、内心ぐるぐるしている為しゃがんだまま硬直しているフォルテの眼前で、ロールは
     床にぺたんと座り込んだまま彼と顔をつき合わせていた。
      これが先程の彼だったら、恐怖で動けなくなっていたかもしれないが、今の彼は普通・・・に見えたからだ。
     「・・・・・・」
     「・・・・・・」
      何をするわけでもなく顔を突き合わせている。ゴスペルも静かだ。静寂が辺りを包むはずだったが、確かに三人は
     聞いた。
      何かを引きずるような、物音を。
                                              

 

     第二章 爪先立ちの人魚姫
     ずる、ぺたり。ずる、ぺたり。ずるっ・・・・ 
      静寂が支配する筈の空間に、何故か響く音は、ホラー映画のゾンビが爛れ腐敗した肉を引きずって歩くような、そん
     な情景を思い浮かばせる、生温い嫌悪感を呼び醒ます音だった。
      そして、その音に被さるように、蝿の羽擦れの音。
     『どうやら・・・・、ワイリーはフォルテ以外のロボットにこのチップを取らせまいと随分とご丁寧なお出迎えを用意して
      くれた様だな』
     「はん。有り難くて、涙が出そうだな。」
     『心にも思ってないことを言うものでは無いぞ。』
     「嫌な音・・・・」
      語気も荒く言う二人の意気を削ぐような、僅かな嫌悪を含んだ怯え声でロールがぼそりと呟く。
      良い子、とはあまりにもかけ離れたその声音に、フォルテは僅かに表情を動かす。
     (ロックマンとは、少々性格が違う様だな。あいつが英雄なら、こっちは英雄に合わせようとして爪先立ちしてる聖女、
      って所か)
      先ほど苦痛を我慢した様は、兄そっくりの聖女だったものの、今ぼそりと呟いた声音は、どこにでも居る女の子その
     ものだった。むしろ、妥当な反応だと言うべきだろう。肌が粟立つような、気持ちの悪いこの音に、嫌悪を示さない方が
     この場合は異常だといえよう。
      
      ある意味、ロックは正常ではないのだ。
      どれだけ恐ろしいものを見ても、嫌悪より哀れみが先に来る彼は、正常な人間の感性を持っているとは言い難い。

      むしろ。

     「まぁ、用事は済んだし・・・・帰るか。ホラ、行くぞ」
     「あ・・・・の。御免・・・・」
      手を差し伸べるフォルテに、ロールはおろおろと謝罪した。
     「?何がだよ。」
     「余計な事しちゃったみたいで・・・・。」
     「何謝ってんだよ、お前。余計もへったくれも無いだろ。一応ロックマンの妹として、俺のやる事なす事妨害するのは当然
      だろうが。」
      じゃあ、どうして連れて来たの。言葉には出なかったものの、口元を僅かにへの字に曲げる事で彼女はその言葉を雄弁
     に伝えてみせた。
     「邪魔より何より、あいつが逃げるのを防ぐ為さ。」
     「・・・・・・ロックは、逃げたりなんかしないわ。・・・・・っ!!」
      不自由な腕を庇いながら可能な限り素早く、彼女は立ち上がって呟く。
     「・・・・・ロック・・・・・・・!!!」
      敵の真只中に、今彼は動けずに晒されているのだ。恐怖とは少し違うが、彼女は瞳(め)を見開いて瞬間、凍りついた。
      だがすぐに、扉に手を掛ける。その華奢な指先が、僅かに震えているのにフォルテは気づく。
      ずるずるという音は、いつのまにかドアの近くまで寄ってきていた。ロールは逡巡したものの、ドアを開いた。
     「馬鹿、やめろ!!ドアの真ん前でドア開ける馬鹿がいるか!!」
      その声は少々遅かったらしい。ロールは外へ飛び出していた。廊下には、ゼリー状の怪物がいたにも関わらずだ。
     おそらくイエローデビルと同系列であろうそれは、6体。広く無い廊下を埋め尽くすようにして、手足がない饅頭形の
     緋色の身体を引きずりながらこちらへ向かってくる。先ほどのずる、ぺたりはその音だったのだ。
      しかし、今の彼女にとって最優先事項はロックの安否だった。
      気持ちの悪い音にも、毒々しい赤にも目をくれることも無く、さもそこには何も無いかのように、腕を庇いながらだが
     走っている。本当にそこに何も無いと思っているのではないかと疑うような、躊躇いを感じさせない表情だ。
     「ち・・・」
      フォルテは舌打ちして、そして部屋から飛び出した。彼女が何をしでかすかは判らないが、あのまま進んだら他の
     ロボットにやられるのがオチだ。あのゼリーには攻撃能力が無さそうだが、まだまだ色々なロボットがうようよしているに
     違いない。そう考えて、彼はとりあえず部屋から飛び出した。
      いままさにレッドデビルと激突しようか、という瞬間、ロールは走り幅跳びの要領で、それを飛び越そうとした・・・
      まさにその瞬間。
      フォルテが、あ、なんだ気づいてたんじゃん。飛び越すとはな。と、思うより前。
      ロールのすぐ眼前を、何か赤いものが埋め尽くす。
      誰もが、「え?」と思う暇も無く、状況は変わっていた。
      瞬時にして合体したレッドデビルに、ロールは激突するような形で中に入り込んでしまったのだ。
      どろどろとした、ゼリー状というよりジェル状の液状化金属が彼女を包む。気持ちが悪いとしかいい様が無い
     スープに手を突っ込んだような感触に、今度こそ明らかに引きつった嫌悪の表情を浮かべて、自由な右腕で
     外壁をはたく。どういう構造か、内側から彼女がいくら暴れようともそれが先ほどと同じように彼女を出すという
     事は無かった。
     「・・・・・・・・・・あンの、馬鹿・・・・・」
      フォルテは頭を押さえて呻き、ゴスペルは微妙な表情を浮かべて彼を見やると、軽く尻尾を一振りして飛び出した。
      狙うは、六つある目。デビルシリーズの弱点だ。
     「お、おい!!」
     『彼女を放っておく訳にも行かないだろう。』
      まだリンクが完全に切れていなかったのか、ゴスペルの意識はきっちりとこちらに流れてくる。
      だが、そうは言っても、フォルテにはゴスペルが何を考えているかはっきりと(哀しい位に)判ってしまった。
      可愛い子(もしくは、美人)にゴスペルはめちゃめちゃに弱い。面食いとも言い換えられるが、まぁ要するに、
     ゴスペルはロールに懐いた、という訳だ。そして彼女を助ける事は、別に彼の主人であるフォルテの意識に反する
     事では無いので、あっさりと助けに行った、という事である。
     「色ボケ野郎・・・・・」
      美人は得する、ということわざを地で行っている相方に、彼は笑いながら小ばかにした言葉をかける。
      そして、彼もまた攻撃を仕掛けるべくレッドデビルに接近した。接近した所為か、真ん前にいたロールに
     「美人で良かったな」などとからかいの言葉をかける。
     「何言ってるのよ!」
      彼女はそう叫んだが、無論フォルテに届くわけが無い。唇を開いた瞬間に口内に流れ込んできた赤い液状の物質
     に噎せ返り、彼女はその時の彼の表情をしっかりと見ることは無かった。
      珍しいものを見るような視線だったから、見なくても良かったかもしれないが。

      あっという間に、レッドデビルは撃破された。
      統一するためのコアである目を破壊され、ただのジェルと化したその残骸の中から、ロールはげほげほ咳き込みなが
     ら身体を起こす。空気が吐き出される度に、唇の端から先ほど飲んでしまったレッドデビルの一部が滴った。
      人間で言えば、吐く、という行為に当たるのだろうが、彼女の行為は吐く、というよりはまだもとあるべき所へ戻す、
     といった方が正しいといえよう。なぜならそれは、当人にも傍観者にも、嫌悪感を前提に行われている事ではないから
     だ。気持ち悪いから戻すのではなく、元々無いはずの物が遡ってしまった事に過ぎないからだ。
     「ごほ、ぐっ・・・・」
      肩を震わせて、気持ち悪さが過ぎるまで嘔吐し続ける。動かなければ、と焦りが募る程腰が抜けた、という現実に
     突き当たる。
      ロボットなのに腰が抜けるなんて馬鹿な話、と、頭の中の冷静な部分が一言呟くが、力が入らないのは事実だ。
      怖かったのか。それとも吐いたのが初めてだったからかは判らない。座り込んだままのロールを、フォルテは強制的
     に引っ張り起こした。気持ち悪そうな表情を貼り付けたまま、それでも彼女は立ち上がった。
     「一人で馬鹿みたいに特攻するからだろ。お前戦闘機じゃないんだから、動力爆破もせずに相手にダメージ与えられる
      と思ってんのか?」
     「だってロックが!」
     「お前を追っかけてくより、俺がお前を引きずって走る方が断然速いだろーがっ!!」
      大体女の尻追っかけるのは趣味じゃない、と、止めを刺して。彼女が反省したのを確認する。
     「大体、俺なしでどうやってあの螺旋階段上るつもりだったんだ?まさかぐるぐる丁寧に上るわ、なんていうつもり
      じゃないだろーな。」
     『そんな苛める事も無いと思うのだが・・・』
      いつになく饒舌かつ嫌味な(!)彼に、ゴスペルが制止の言葉をかけるが、それよりロールの方が早かった。
      自分より遥かに背が高い男の服の胸倉に縋るようにして、言葉を吐き出す。
     「その通りよ!だってロックがいなくなれば貴方にとっては都合がいいけど・・・・でも、私はっ・・・・・!!」
      彼女の言葉は途切れた。
      『生きてはいられません』?『好きなんです』?
      どれだけ陳腐な言葉が飛び出してくるのか。先ほどまで抱いていた興味が急速に醒めていくのを彼は感じる。
      ただ単純に、彼女は滑稽な、実の兄を愛した悲劇のヒロインになりたがっているのか。聖女の顔をしながらの
     汚れ役に、自ら知らないところで快感を覚えながら。
     「じゃあ俺に、何を求めてるんだ。」
      そう言った声は、やたらと冷たかった。弾かれたように顔を上げた彼女の瞳は、泣いてはいるもののヒロインを
     演じる道化師ではなかった。
     『私は、あの人が居なければ意味が無い。』
      それは決して、言葉ではない。そして愛の告白でもない。
      今の表情で、彼女は彼女ですら気づかない、本心を曝け出してみせたのだ。
      むしろ、恋心かもしれないと自分自身を危惧する、普段の彼女では見せられない結論だった。
      彼がいるから、自分の存在がある。彼が居なければ、自分の意味など無い。
      その、あまりにも残酷な結論に、フォルテはがん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。
     「今頼れるのは貴方しかいないの!!ゴスペルだって、貴方がその気にならなければ協力してくれないだろうし・・・・
      お願い、力を貸して。・・・・ロックを、殺さないで・・・・・」
      よく聴いてみれば、ロックを殺すのが目的のフォルテに、彼を殺さないで、と叫ぶロールはどこか矛盾しているが、錯乱
     状態にある二人にはその馬鹿らしさが判らなかった。

     「・・・・・・ゴスペル」
     『助けに、行くのか?』
     「あいつを殺すのは、俺の仕事だ。」
      低い嗚咽を漏らすロールを抱え、フォルテはどこか放心したような茫洋とした表情で言う。
      得たり、とゴスペルが肯いた。ざわざわと、また何かが寄ってくる音がしたが、飛び去った彼らには届かなかった。

      

      死ぬ、という概念は、今まで考えたこともなかった・・・と、ロックはぼんやりと思う。
      だが、今この状態があともう少し続けば、自分は消えるのだろう。動力炉が爆発するか、それともエネルギーが切れる
     かで。人間は最後に、走馬灯のように思い出が流れるとか、大切な人の顔を思い出すとか言うが、自分は誰の顔を
     思い出すのだろうか。
      多分。
      博士の顔か、ロールちゃんの顔なんだろうな。
      微苦笑を浮かべて、思う。
      うつぶせに倒れこんだ所為と、敵が数は多いもののエネルギー弾しか撃ってこない、いわゆる雑魚のおかけで、
     先ほどいきなり攻撃を仕掛けられてから今まで「生きて」来れたが、彼の身体はもう限界だった。痛みが細かい所為
     で、大量の情報を伝えた為、神経回路は焼ききれてしまった。切れる瞬間は絶叫する程の苦痛だったものの、その
     おかげで今はもう、何も感じないで済んでいる。
      ただ、そろそろ動力炉がオーバーロードで爆発するだろうな、さらに考える。
      彼の目の前には、真っ赤な液体が広がっているのが見える。オイルだ。それが無い状態で、しかも少ないエネルギーを
     頭に回してメモリーだけでも残そうとするから、動力炉にかかる過負荷は限界値に達する。
      ただ、エネルギーさえあれば動けない状態でもないのだ。その事が何よりもロックにとっては、歯痒かった。
      白い部屋の中、彼の横たわる唯一箇所だけが緋色に彩られている。だだっ広いその部屋は、無機質な棺桶にも似て
     いた。
      

      苦痛を感じないまま、消えていくのは、怖い。
      ただ眠って、目が醒めなくなるだけに過ぎないから。
      だから・・・・・僕はまだ、目を閉じるわけにはいかない。

      混濁してきた意識のなか、その思いだけを頼りにロックは耐える。
     (そうだ・・・・ロールちゃん、今何やってるんだろう・・・・・。)
      その瞬間、ドアが開いた。

 

      時間は少し溯る。
      フォルテとロールは、螺旋状になっているところをゴスペルブーストで一気に突っ切っているところだった。
     「・・・・・・・ねぇ。」
      不意に、ロールが口を開く。先ほどまで泣き叫んでいたのが嘘のような、しっかりした声に、フォルテは曖昧に
     答える。
     「何か、居たのか?」
      彼は無論、前しか見えない。どうせ後ろの方を向いても、羽ばたいている翼のせいで後方確認は出来ないからだ。
      そしてゴスペルは翼状態になっている。と、いうわけで、唯一後ろが見える彼女が、後方を確認していると言う訳。
      左手は使えないので、右腕を相手の背中にまわして、肩に顎を乗せるような形で後ろを眺めていたが、それがもの
     凄い勢いで接近してくるのを見て、言う。
     「何か、飛んで来るみたい。」
      そういった直後、それは高速回転しながら天上に突っ込んだ。派手な音とともに、天上にめりこんでしまったが、
     それはすぐにむくっと身を起こす。天上に張り付きながら。
      足元の爪は鋭いものの、何を模したというわけでもなさそうだが、流線型のフォルムといい、突撃して相手に風穴
     をあけるのが目的、というのは一目でわかる。どことなく、カワセミを思わせるロボットだ。
     「何か飛んでくるじゃないだろ・・・・」
      先ほどの感情の高ぶりの反動か、今度はいやに鈍感になってしまった彼女に、フォルテはため息交じりで言う。
     「それから、肩に顎のっけて喋るのは痛いからやめろ」
      全く無視した会話である。(相手を)この二人ではなかったら、のろけというか睦言になりかねない台詞の連続に、
     相手は切れたのか、きぃ、と歯を鳴らして叫ぶ。
     「・・・・女連れでいちゃいちゃしてるとは随分なめられたもんだわね!!レックレスマン様をなめてんじゃないわよ!」
      この時、フォルテはこういいたかったに違いない・・・・・人違い&誤解だ、と。
      げんなりした表情を浮かべる二人に対し、レックレスマンは羽根を広げてきぃ、とまた騒いだ。
      随分癇癪もちのようだ。
      身体を回転させて羽根にくるまりなおすと、もう一度突撃をかける。間一髪で避けたフォルテだったが、人を余分に
     抱えている為、今一速度が出ない。
      それに対してレックレスマンは、突撃ではあるものの、その速度と破壊力は恐ろしいものがある。
      しかし、どうやら至近距離で勢いよく突っ込みすぎたのか、今度は身体が半分程埋まってしまった。
     「・・・・・・・・馬鹿、だな?」
      無視して、進んだフォルテだったが、ロックがいる部屋に辿り着く前の一直線の廊下で、またもや追われ、
     そして今、焦りながら最初の部屋に二人は飛び込んだ。

     「ロック!!」
      群がる羽虫型ロボから庇うように、ロールは彼を抱き起こそうとした。エネルギーは回復できないものの、とりあえず
     特殊樹脂で傷口を塞ぎオイルのだけでも防ぐ。
      先ほど彼女達が入ってきたドアは、フォルテが押さえているものの、ガンガンともの凄い音を立てて叩かれ続けている。
     廊下にたまる気配は増えていくばかりだ。気配から言うと、レッドデビルや羽虫ロボ・・・・バグズの気配だけではない。
      レックレスマンと似たような、好戦的な大型ロボットの気配も感じられる。
     「有り難いぜ全くもって!!!」
      ドアは、もうすぐで駄目になる。
     「おい!ロックマンは動けないのか!!??」
     「周りの損傷は、小さいのが沢山あるだけなの!!!でもエネルギーが切れそうで・・・オイルも大量に流出してるから
      ちょっとやそっとのエネルギーじゃ無理!!」
     「じゃぁ、敵が落とすエネルギー回復じゃぁ足りないのか!!??」
     「そんな微量じゃ、全然駄目!!オイルはちょっとなら補充できるけど・・・・でも、エネルギーの循環効率が悪すぎるから
      すぐに使い果たされちゃう・・・・・・!!フォルテ!!」
      会話をしていて、気がそれたその一瞬。彼はドアごと吹き飛ばされた。
      ざしゃぁ、と派手な音と共に地面に叩きつけられ、貌を歪めたもののこれ位なら別に、彼にとっては大したものではない。
     長い脚を振り子の要領で利用して跳ね起きると、フォルテは間髪入れずに手近な一匹を蹴り飛ばした。
      そしてそれは、測らずとも見事にレックレスマンに激突した。
     「お前みたいな馬鹿には、バスターは勿体ねぇ。・・・ってどこぞやのお偉いさんも言ってるみたいだな。」
      にや、と笑って告げたフォルテに、またもやきぃっと悲鳴を上げて彼は地団太を踏むかと思われた。が、何故か彼は。
      笑って、いた。
     (・・・・・・?)
      訝しげに眉を顰めた、その瞬間。背後から襲ってきた巨大な氷柱が、彼の頬を掠める。
      ビシュッ……
      表皮が剥け、その部分だけが赤くにじむ。振り返ったすぐ先には、ところどころに鋭角なデザインが特徴的なロボットが、
     こちらを見返してくる。
     「チ、てめぇは・・・・アングルマン!!」
      フォルテはそのロボットに面識があった。随分前、ワイリーがまたもや8体ロボットを製作していた。その時、偶々彼は
     チューンナップ中で、偶然隣にいたのが、このアングルマンだった訳だ。
     (って事は、あのとき一番端で見えなかったのが、レックレスマン。今ここには計7体いるから、キューネイマン
      クオドラントマン・サウンドマン・ナンバーマン・ドルフィンマン・カスティングマン、のうち一匹以外か・・・)
      大体は、見れば判るな。彼はそう口内で呟く。ワイリーメカというのは、何故か非常に判りやすい形をしているので、
     (多分、彼が間違えない為だと思われる)判別にはあまり困らないのだ。
     「ワイリー様が作られたロボットでありながら、敵に荷担するとは何という愚考!!ロックマンはこの際後回しだ!
      まずお前に制裁を加えてやろうぞ、フォルテ!!」
     「はん。」
      鼻で笑ってみせて、フォルテは負けじと怒鳴り返す。」
     「お前が先にスクラップになるだろ。ゴスペル、邪魔するなよ。」
     

     アングルマンのような生真面目なロボットは、フォルテに攻撃を始めたものの、彼らの本来の目的はあくまでもロック
    だ。二人を囲む輪はじりじりと狭まってきている。ここで終わるわけにはいかないと辺りを見回したロールの視線の先に、
    電源ケーブルがあった。先ほどロックが試してみたときは反応していなかったが、今は作動している。
     だが、電源ケーブルを引っ張って戻ってくるまでの間、どうするか。悩んでいる暇は無かった。
    「なんとか、するから・・・・」
     口内で呟いて、ロールは立ち上がる。そして、円陣を組む、その隙間をすり抜けるようにしてケーブルに向かって走り
    出した。何が起こったのか十分に知る時間はあったが、彼女が何を目的としているのか瞬時に理解できた者は居なかった
    為、そのに数秒のタイムラグが生じる。
    「させるかぁっ!!」
     キューネイマンが放った楔が彼女を襲うが、その幾つかは飛び出したゴスペルが払った為、彼女は針山になってしまう事
    だけは免れた。しかし、残った幾つかは狙い違わず目標に刺さる。
    「・・・・・・っ・・・・・・・」
     低く呻きながらも、彼女は何とかケーブルまで辿り着いた。左腕は使い物にならないし、右は楔の所為でショートしている。
    傷むのは、傷口かそれとも神経か。どっちを使った方が楽かなど考えず、ただ必死で。利き腕を出していた。
    (あ、抜いておけばよかったね・・・・馬鹿だね・・・・)
     丁度腕の付け根に刺さってしまったので、腕を動かす度に激痛が走る。唇をきつく噛んで悲鳴を堪えながら、レバーを引く。
    古いのか、それとも元々そういう構造なのか、頑固にも下がってくれそうにない。
    「く・・・・ぅ・・・・」
     向こうの方で、何かが倒れるような鈍い音がした。彼女がそれを認知する間もなく、敵陣を殴り倒してロックを引っ張り出して
    来たフォルテが、レバーを引く。
    「一体誰がやったんだろうな。・・・・どいてろ」
    「何故ロックマンに荷担する!!」
     体制を立て直したアングルマンが叫ぶ。悲愴、ともいえるその叫び声とともに、レックレスマンが飛び上がる。
    「さぁな?とりあえず、固くて黒くて太いこの立派なダンナが癪に障ったんじゃ・・・・ねえのかっ!!」
    「下ネタ発禁っっ!!」
     叫んだのは誰だったのか。フォルテは、その「気に障る奴」に踵落しをかます。ロックと電源ケーブルの接続は、完了
    していた。レックレスマンが羽根に包まれる。アングルマンが頭の角を掲げて突進、キューネイマンは援護として楔を投げ
    つける。ナンバーマンはサイコロを取り出し、クオドラントマンは、像眼を模したカッターを投げつけ、サウンドマンは超音波
    のチャージにかかり、カスティングマンはその巨体をむっくりと起こして体制を整えた、その次。
     形勢は、変わっていた。
                                                

 

    第三章  赫い津波
  
  「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」
     肩で息をつきながら、茶髪の少年は立っていた。左手から先はケーブルを引きずっていたが、右手はしっかりと相手に
    掲げたまま。カランカラン、と乾いた音を立てて、金属の塊が幾つも床に落ちた。
    「・・・・・ロッ、ク。」
     奇妙に喉に絡んだような声で、ロールは彼の名前を呼ぶ。
     僅かに振り返って、ロックはにこ、と微笑んだ。座り込んだままの彼女は、泣きそうな、それでも安堵した表情をまた浮かべ
    て頷いてみせる。
    『居なければ、私の意味などないの。』
     その笑顔を偶然見たフォルテの耳に、先ほどの彼女の声にならなかった声が蘇る。ぞく、と、背筋に何かが走るのが
    判った。人間で言うところの、悪寒、というものだ。
    (そうだ、俺は・・・・・)
    「フォルテ。」
     不意に名前を呼ばれ、彼は慌てて、しかし平静を装いながら、顔は動かさずに答える。
    「何だ。」
    「僕は君と戦いたくない。」
    「それは無理だな。俺は最強のためにお前を倒す。」
    「じゃあ、この場だけでも、とりあえず、僕を相手にしないで欲しい・・・一時休戦、という訳にはいかないだろうか?」
    「俺があいつらと組むと思わないのか?休戦破って」
    「君は、卑怯じゃないよ。」
     そんな風に言われたら、裏切られる訳ないのだ。そんな聖人のような言葉をさらりと吐いてしまうロックが、彼は嫌い・・・
    だった。それは唯単純に、彼がロックを嫌って、敵対する為に生まれただけだからというのかもしれないが。
     だが、ロックの言う通り、彼が卑怯を嫌う、というのも又、真実だ。人間は平気で殺すし、人質もとるような真似はするもの
    の、彼の中にはきちんと、卑怯とその他の境界線が引かれているのだ・・・随分、偏ってはいるものの。


     例えば、ここに一体、ワイリーの指示で人を殺そうとしているロボットがいるとしよう。
     そのロボットは、街で、誰か一人を路地に引きずり込んで殺そうとしている。その時に、女子供ばかりを狙うのは卑怯だ、と
    いうのが彼の信念である。どの人間も、公平に殺すなら殺すべきだ・・・(但し、そのロボットが、運悪く女子供ばかりしか通ら
    ず、殺しを連続して行った場合、確立など気にしない彼に張り倒されるというか、スクラップにされてしまう。要するに、非常に
    自己中心的な判断だということは付け足しておかなければいけない。)
     それから、特別でないものを人質に取るのは卑怯である、という考え。
     例えば、ロックをおびき出す為に人質を一人とるとする。それは、一般人であってはならない、という原則だ。
     最も、人質も何も、バスターでひたすらに撃ちまくればロックはやってくる、という事もあるのだが・・・・

     独断と偏見に充ちてはいるものの、やっぱり微妙に律儀な所がある。それが、ロックがフォルテを倒しきれない、一番の
    理由であるかもしれない。
    「彼だって、ワイリーが僕に敵対するようプログラムしなければ、普通に生活出来たはずなんだ・・・・あれだけ高度な性能を
     持っているんだもの。」
    「そうダスね〜。唄って踊ればいいだすねぇ〜」
     一度、そんな会話が交わされたこともあった位なのだから。ライトも、その時は納得していた。

    「それに、ロールちゃんも無事だったんだ。傷は深いみたいだけど・・・・ちゃんと戻ってこれたのは、君のおかげでしょ?」
     誤解です。実は傷の犯人は・・・
     なんともいえない、どうする?といった表情でフォルテとロールは顔を見合わせた。
    「は、ははははは、そ、そうだな。」
    (フォルテ、声裏返ってるわよ・・・・)
     いきなりハイテンションになったフォルテに、ロックは訝しげに眉を顰めたものの、すぐに構えなおす。
    「ロールちゃん、動ける?」
    「え・・・・ええ。大丈夫よ。」
    「本当は逃げて欲しいんだけど・・・・安全な場所なんて無いみたいだから、とにかく壁にくっついていて。」
     背後からの攻撃はそれで防げる・・・・・からっ!!」
     から、を吐き出すように叫ぶと、ロックは丁度前にいたロボットにチャージショットを撃ち込んだ。
     しかし、確かに危険な状態には変わりは無かった。フォルテとロックなら、いくら不利ともいえども、一人頭3.5体なら
    負けることは無いのだ。しかし、それはあくまで相手にも誰にも気兼ねなし、という事が前提に立っている。
     ロールに気を使いながら、かつ、敵を倒すというのは非常に難しいものがある。例えば、敵の攻撃を迂闊に避けると、
    彼女にそれは当たるかもしれない。だから、ショットで相殺する必要性が出てくる。その隙に攻撃される・・・・の悪循環に
    嵌まりかねない危険性を孕んでいるのだ。
    「くったばれぇぇぇっっっ!!!」
     無論、そんなことなど気にしないフォルテは、早速一体目を血祭りに上げていた。原型を留めないくらいにボロボロになっ
    ていたのは、おそらくカスティングマンだろう。そして彼が次に狙ったのは、クオドラントマンだった。
     像の頭の下には、どっしりとした体がついている。おそらくバランスを考慮してやや大型に作られたようだったが、
    「でかくてかつ武器が飛び道具」というのは、フォルテにとって恰好の標的だった。素早く懐に飛び込み、至近距離から何発
    もショットを打ち込む。サウンドマンの衝撃波がフォルテを狙ったところで、その蹂躙は終わった。クオドラントマンの
    腕もろとも彼は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。しかし、その時にはすでにクオドラントマンの動力炉は破壊されていた。
    近くにいたナンバーマンもろとも、爆発に巻き込む。
     普段ワイリーナンバーズが別々の部屋にいるのは、今のような同士討ちを防ぐ為なのだが、今回は状況が悪い。
     

    「こういうのを、人選ミスって言うんだろーな。」
     フォルテが不意に呟いた。あれから20分も経たない内に、ワイリーナンバーズは全滅している。
     レックレスマンは、ロックに激突するところを避けられて、サウンドマンと共に自滅。
     その時残っていたキューネイマンとサウンドマンは、ロックとフォルテによって倒された。
     辺りには、何かのこげるような臭いと、真っ赤なオイルの溜まりで埋め尽くされている。しかし、その死には人間の死の様な
    生々しさは微塵も無かった。
     三人は、それぞれ複雑な面持ちでそれを眺めている。ロックは死、を改めて再認識し、ロールは恐怖を、フォルテはただ
    ひたすらに戦いの後の興奮の名残と空虚さを感じていた。
    「ワイリーメカ、だったんだね。これで全部かな?」
    「あと一匹いるはずだ。まぁ、生きていれば俺たちの後を追ってくる筈だからな。」
    「・・・・・・あと、一体。」
     と、廊下の向こうをなにか赤いものがひたひたとロック達の方にやってきた。オイル、ではない。
     その色を見たとき、ロールは思わず口元に手をやった。さっきの、レッドデビルと同じ色をしていたのだ。
     色だけではない。微妙に粘着性がありそうな所は、移動の仕方から判る。
     成分を確かめている時間は無かったが、ロールは直感的に、さっきと同じだ、と感じた。
    「・・・・・・逃げなきゃ!!あれ、内側からは出られないのよ!!」
     それは、段々とこちらにやってくる。ロックとフォルテは、その後ろに最後の一匹が居る、と確信した。赤い津波が盛り上がり
    一気にその速度を増す・・・・・ゼリーの津波だ。
    「・・・・・ロールちゃん、多分そこの、先刻僕たちが落ちてきたところから、海に出られると思うんだ。・・・・フォルテ。」
    「何だ。」
    「ロールちゃんと一緒に、陸に戻っていて。」
    「は?何言ってるんだ?戦いを俺がみすみすお前にやると思ってんのか?」
    「・・・・・・僕じゃ、二人分の命は守れないんだ。飛べないから。彼女は、一人では帰れない。」
     ロックの言わんとすることは良く判る。高い位置にある、外への出口には、ジャンプや肩車では届く位置ではないのだ。
    あそこへ届く方法は、この状況下ではたった一つ。
     空を飛ぶ、ゴスペルブーストしか無い。
     従って、フォルテ以外はここから脱出することが出来ないことになる。
    「君なら出来るんだ・・・・お願い。」
     真摯で、一途すぎるその視線。意識のはっきりしたその瞳は、フォルテがロックを嫌いだ、という理由の純粋すぎる正義
    感を湛えて、フォルテを捉えていた。
    (誰かの、眼に似ている。)
     ふと、彼はそんな事を思う。

     ・・・・・ああ、そうだ。

     先刻の、あいつの表情(カオ)にそっくりなんだ---

     赤い水が弾けて、海豚を模したロボットが飛び出てきた。津波は加速し、今しも彼らを飲み込もうとする。
    「お願いだ!!フォルテ!!」
    (どうして、俺は。)
     その時動いてしまったのか。彼には判らなかった。
     それは、もしかしたら、先程ロールに共感してしまった事が原因なのかもしれない。
     
     それは運命、と呼ぶには余りにも陳腐だったが。
     確かにフォルテは、彼女に何かを見てしまったのだ。
     
    「ゴスペル!!」
     顔はそちらに向けなかったものの、ロックは口元だけで微かに笑った。
    「そんな・・・」
     ロールが、呟いた瞬間には、もう黒い翼は目の前で。
     冷たい月の欠片の銀色が、眼前を横切って。耳元で風が唸る。
     上昇しているのだ、と気づいたのは、そのすぐ後だった。
    「逃がすか!!」
    「僕が相手だ!!」
     意気込むドルフィンマンの前に、ロックが立ち塞がる。赤い波が足元に纏わりつくが、彼は冷静に掌を相手に向けて、
    チャージショットを撃ち込んだ。
     憎悪に顔をゆがめるドルフィンマンの前で、人類の英雄は。
     何故か、安堵した様な狐につままれたような顔で、バスターにチャージを始めた。

                                                   

    
     
第四章  道化師は 英雄の物真似/英雄は 道化師の物真似
    
ドカァァァン!!!!!
    派手な音と共に、ロックのすぐ背後の天上から、滝のように水が流れ出して来る。
     水の流れを背にして、それでもロックは微笑んでいた。
    「な、何笑ってんだよ!!お前見捨てられて、しかも今水が流れてるんだぞ!!??」
    「僕は溺れたりはしないよ。ロボットだから。」
     そう言いつつ、ロックは電源ケーブルの繋がっている左手を動かす。すでに足元は、赤い水で固まっていて、その上か
    ら流れ込む水は、膝下までかかろうとしている。
    「あの二人は僕を見捨てたんじゃない・・・僕が、フォルテに僕の運命(サダメ)を守って、って頼んだだけなんだ。」
     彼の言う運命、とは何のことなのか、判らずにいるドルフィンマンに、ロックは笑っていう。」
    「僕の未来。僕の大切な人。僕一人じゃ、二人の命は守れない。二人とも死ぬか、僕が死ぬかがオチだ。」
    「は、だが、お前はもう動けないんだぜ!!??」
     嘲ったように言うドルフィンマンだが、何故かその腰は退けていた。それは無理も無い。彼が自由に動けるのは、彼の周り
    にあるゼリー状の液体の密度が高いからであり、海の水の中では、密度が低い為、彼は自由自在に泳ぐことが出来ない
    のだ。彼としては、ロック及びその仲間達が、まさか船の一部を破壊するということは全くもって計算外だった。無論、
    ロックも水中戦が得意だというわけでは無い。ただ、この二人の場合は、踏んできた場数が違いすぎた。
    (道理で、彼は一人だった訳だ)
     心中で小さく呟く。このゼリーをばら撒かれては、他のワイリーナンバーズもたまったものではない。
    「動けないなら死ねぇぇぇぇぇ!!!」
     小型のビットが、その両手から放出され、真っ直ぐにロックの方に向かってくる。直線に移動なら、打ち落とせる・・・と
    思った瞬間、それはいきなり角度を変えた。
    「つぁっ!!??」
     鋭い角・・・鋸を思わせる角が先についていたその小型ビットは、直撃はしなかったもののロックの両肩を抉った。
     表皮はおろか、その中の肉にあたる電気伝導物質も少し切れ、彼は痛そうに顔をしかめる。だが、これくらいならまだ
    大丈夫だ。自分に言い聞かせて、ロックは再びチャージショットを放った。
     水中で大分威力が落ちているものの、凄まじいその威力は、ゼリーの中から出て来たドルフィンマンを、壁にまで叩きつけ
    るには十分だ。
    「にゃろぉぉぉぉ!!!!」
     お返しのように、ドルフィンマンは小型ビットを、今度は一度に十数機も放出する。ロックは通常ショットで対応するが、
    それでもそのうちの幾つかは、容赦なく彼に制裁を下した。
    (足がつかえないままじゃ、不利だ・・・・)
     チャージショットの威力は小型ビットの威力を遥かに上回るものの、チャージには時間がかかるし、何より、避けられない
    のでは、ジリ貧もいいところだ。どちらの体力が先に尽きるかは、何となく予想がつく。
     視線は相手から逸らさないまま、ロックは、先程キューネイマンたちから手に入れたチップの効果を頭の中で調べる。
    (キューネイマンは・・・駄目だ。ビット相手位にしかならないし・・・・カスティングマンはブーメラン・・・・・!!これは!!)
     ロックは、ある特殊武器に気がついた。アングルマンから採取した武器チップは、デルタシールド。
    『でるたしーるどハ周リ二三角錐のしーるどヲ展開スル武器。』
     やにわにロックは、左腕のケーブルを抜いた。その先端を掴んで、ドルフィンマンに向かって投げつける。水中でそれは
    ゆっくりと相手に向かって泳いでいった・・・コードを引きずりながら。そのコードの、出来るだけ相手側を狙って、ロックは
    ショットを放ち、それと同時にデルタシールドを展開する。
     コードが壊れ、大量の電流が放出された。非常に大規模な漏電だ。
     無論、その電流からドルフィンマンが逃げる術は無い。凄絶な、断末魔の叫びが、気泡となって昇って行く。
     身の毛もよだつようなその声は、水中の所為かそれともシールドの所為かロックまでは届かなかったが、どれほどの苦痛
    かは、凄惨なその表情を見れば判る。
    「ごめんね・・・・」
     心底苦しそうに、ロックは呟いた。まるでその痛みが同調しているかのように、拳をきつく握り締めて。
     どうしても倒さなければいけない相手は、動力炉を破壊して、せめて苦しまないように倒していた。
    「・・・・・僕は、狡い。」

     だが、こうしてみると、自分は他のロボットが苦しみ、恨みの篭った目でこちらを見るのが嫌だから的確に急所を狙って
    倒しているのだ、という思いがロックを襲う。
     消えるまいと足掻くものの、その特有のあの眼が、怖いだけなのかもしれない。
     だから、それから眼を反らすまいと、彼はしっかりと目を見開いて、ドルフィンマンの最後を見据える。
     全身が細かく震えていたが、気づかないフリをした。
     自分でしたことは、自分で方をつけなければいけない。
     それは、無意識のうちに英雄にならなければならない、という強迫観念を持つ、哀れな少年が演じる悲喜劇で
    もあった。自虐的で哀切で、滑稽な。
     強張った表情のまま、永遠にも感じられる一瞬が一刻も早く終わってくれることをひたすら祈りながら、
    彼はひたすら立ち尽くしていた。。


     10秒ほど経っただろうか。セキュリティーが反応して漏電は止まったが、彼が動くことは、二度と無かった。
     ロックは、力尽きたようにその場にへたり込む。重力に逆らった動きで、髪が上になびく。
     そのまま、どれくらい居たのだろうか。時間にすれば短かっただろうが…茫洋と立ち上がろうとする彼の膝を包む
    赤い水は既に固まっていた。
     ロールには出来なかっただろうが、彼のチャージショットならこれ位の物を砕くのは、そう難しいことではない。
     少々こびり付いては居るものの、研究所に帰ればこれは落とせるだろう。
     そう考え、彼はゆっくりと上昇し始めた。
     灰の暗い(ほのぐらい)水の底から、白い船体を眺めながら、彼は帰路を辿る。
     彼の視線の端を過ぎった船は、全く動かない。龍を模した頭部もまた、力を失ったように見える。
     それは、船内を活性化させたために頭部までエネルギーが回らなかったからなのだが、ロックがそんなことを知る訳
    もなく。ただ、日を改めてまた来なくてはならないな、と彼は思った。
     やがて、水面が近くなってくる。眩しい空と海との境界線は、もう少し・・・・・・

    『あ。』

     海面に顔を出したロックは、思わず声を漏らした。そしてその声は、ロック以外の二人と見事にハモる。
     陸地は決して遠くないが近くもなく、周りは海ばかり、という状況で、猫の子でもあるかの様に、ロールは抱えられていて、
    抱えているフォルテも、抱えられているロールも、甚だ不本意そうな顔をしているのが可笑しかった。
     ただその瞬間、ロックの胸に、ちり、と、鈍い痛みが走ったのは、多分錯覚ではなかったのだろう。
     一瞬送れて、ロールが銀髪の青年の手を離れて、海に飛び込む。
     受け止めようと伸ばした腕に、収まったものの。その衝撃で頭から波をかぶってしまい、彼女の金色の髪には細かい
    水玉が散る。太陽の光を受けて、その一粒一粒が燦ざめいた。
    「良かった・・・!!!」
     泣いているような、笑っているようなでも笑っている声音だった。少年の肩に顔を埋めて、縋りつくように言われた為表情
    は全く見えなかったが、多分笑っているんだろうと彼は思う。
     際限なく優しい瞳で、『妹』の髪に指を滑らせる『兄』。
     傍目から見れば、非常に美しい風景だった。
     唯、フォルテはやや奇妙な気分で、それを見る。そんな彼に、ゴスペルの意識はからかうような言葉を投げた。
    『完全に、間男だな。』
    「五月蝿い。そーゆー事じゃないんだ。」
    『敵と手を組んだのががっかりか?』
    「違う。」
     不意に、ロックが顔を上げた。
    「フォルテ・・・・有難う。」
     男だとか女だとか関係なく、その笑顔は透明で綺麗だった。フォルテと会うときは大概戦闘なので、そんな表情を見た事
    は無かったが、確かにその瞬間、フォルテは理解したのだ。
     彼が、英雄である所以を。
     無論、それで偽善者ヅラへの嫌悪やロックへのライバル心が消えたわけが無い。
     フン。と、鼻を鳴らして、彼は言った。
    「色ボケに何感謝されても、嬉しくねーな。頭の中まで春が来たんじゃね-のか?俺は敵だぜ?」
    「敵だけど・・・・でも。」
     でも、ロールちゃんを助けてくれたでしょ?
     笑顔で告げられて、返す言葉を彼は失った。
     こいつ実は腹黒いんじゃねーの??と思いつつも、それが天然なのだから性質(たち)が悪い。
    『礼を言いながら、さりげなく彼女に告白・・・・・プロだ。』
     ゴスペルが、ボソッと呟く。(よし、今日から君は天然タラシ街道驀進少年だ!!)
     その一言に、フォルテはきっと今日は闘えないだろうな、とふと思う。実際、ロールの所為か、本日の自分はどことなく
    角が取れてしまったような感じさえするのだ。
    「次合う時は、容赦しないからな。今日は、こんなボロボロなお前と戦っても仕方ないから俺は退く。」
     波間でぷかぷかする二人にそう言い放つと、彼は翼を広げて飛び立っていった。
    「気をつけてねーっ!!」
     ロールはそう叫んで、手を振る。その声は届いたのか、どうか。
     あっという間に、彼の姿は見えなくなった。夜を切り取った黒は青空に溶ける事は無い筈なのに、その姿は、青に呑み
    込まれるようにして消えて。
     何時の間にか晴れになっていた空模様に、ロックは、はた、と気づく。
    「・・・・・・・・ロールちゃん、今日何月何日??」
    「8月18日だけど??」
     彼らが家を出たのは、17日だった。ロボットには朝昼夜という概念が薄いことと、光の差さない深海だった所為か、
    1日過ぎている事には誰も気づかなかったようだ。
    「・・・・・・・朝帰りってこういう事なのかなぁ。」
    「そんな単語どこから仕入れてくるの・・・・」
    「聞きかじりだよ。意味、まちがってる?」
     朝帰り・・・・確かに額面どおりと言えばその通りなのだが、ロックが言うと何か違うような気がする。ロールは心中で呟く。
     
     彼の言葉には、毒が無いのだ。
     どんな下劣な言葉だろうが、彼が口にするとそれは水晶の様に透過し、その人を傷つける禍禍しい色合いを失う。
     ともすれば薄っぺらくなりそうな優しい言葉の全てが真実に聞こえるのは、「ロック」という人格が持つ正義の為せる技。
     しかし、それは同様に、その他の言葉にはリアルさを欠けさせる事になる。
     綺麗過ぎるイキモノは、どれほど叫ぼうとも、相手の心を抉るような激しい感情の言葉を伝えることは出来ないのだ。

    (でも、言葉じゃなくても貴方の存在だけで傷つく人も居る。)
     もう一言、彼女は付け足した。
    (私が、おかしいのかもしれないけれど。)
    「ロールちゃん??」
     不意に遠くを見たロールに何か声をかけようと、ロックは彼女の名前を呼ぶ。はっとそちらを見たロールの目の前に、
    海のように青く、深い瞳が彼女を見ていた。
     それでも冷たさはない。穏やかな陽光の下、夏の午後波が無い海の色。それと、青玉を思わせる深海の瞳がかち合う。
     瞬きするより早く、波がかぶさってきた所為で視線は途切れ、ロックにいたっては水を吸い込んでむせる。
    「人魚みたいに、視線を外さずに泳ぐなんてできないね。」
     苦笑しながらそう言った彼が、ひたすらに、彼女には愛しかった。
     
     ざらざらした砂地に足が着いた。ロックは、笑いながら少女に手を差し伸べる。金色と、光の分解によって起きたプリズム
    を纏わりつかせながら立ち上がり、水を多量に吸って重くなった服でバランスを崩してよろめく姿は、何故か陸に不慣れで
    歩くたびに激痛を覚えたという、かの童話の姫を思わせる。
     無論、それは童話の中だけの話で、実際にそんなことは在り得ない。
    「こんなびしょぬれで、研究所まで歩いて帰る・・・・?」
    「ははは、かなり変だよねそれ。って言うか、潮臭くなりそうで怖いよ。あれ??」
     さらさらした砂地の上を、一匹の犬が走っている。四肢が地面を蹴るたびに、砂が舞い上がり、砂塵が煌いた。
     人の群れを器用に避けながら、それでも速度は落とさずに犬・・・・否、唯の犬ではない事は、外見から判る・・・・
    はロック達の方へ駆け寄って来た。その後ろから、巨体を揺らすようにしてライトットが走ってくる。
    「どうやら、そんなことも無さそうだね。」
     腕の中に飛び込んできたラッシュに顔中を舐め回されてくすぐったそうに笑いながら、彼はそう言った。
    「さぁ、帰って博士に報告だね!!帰ろうか!!」
     

     

 

     ワイリーの基地に近くなってから、やっと、フォルテは、先程の奇妙な気分の理由に思い当たった。
     彼には良心というものは、殆どと言っていいほどプログラミングされていない。しかし、世間一般の常識、という
    ものは、日常に支障をいたすという事もあり、一応プログラミングされているのだ。
     その、常識的な所が、先程は思い当たらなかった、彼になにか奇妙な感覚を抱かせていたのだ。
     
     兄が居なければ意味が無い、と泣き叫んだあの少女。
     
     そして。

     妹を大事と称する、あの少年。

     もしかしたら純粋だったかもしれないし、もしかしたら兄ではなかったのかもしれない。あの時の彼は。

     無論人間のように、血の繋がりはないけれど。

     しかし、もし妹がそうだったように、彼が想っていたのなら。

     そこに成り立つ罪状が、一つある。

    「i n c e s t」
  
     交わる事はできないけれど。

     その非常識とされる二人の様子が、彼の常識に引っかかったのだった。

     

 

     もし右の手があなたを躓かせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。
                                                  

                                                 03 耐えられない存在の軽さ、了。