ただ只管、其処に残るのは…
      煩いだけの、血の、匂い。

      懐かしささえ塗り替えて……
      其処に残るのは痛みだけ。

      ……帰りたい?
      ……もう帰れない場所だというのに。
      砕けたガラスのような懐かしさが齎すのは、
      切り裂かれる痛みだけ。

      
      

                                         05 Days

     

     第一章  家出娘
   
 「もう信じられない!!ジェフってばね!!」
      電話線の向うでカリンカが半分泣きながら喚き、ロールは真剣な面持ちで、その惚気とも愚痴ともつかない
     言葉に頷いている。
     「それでね、お父様に言ったら『それなら別れなさい』ですって!!信じられないでしょ!?」
     「うん、そうね。」
      恐らくコサック博士が言いたかったのは、「自分が辛いなら別れてしまいなさい」という言葉なのだろうが、
     ともすれば悲観的な恋愛に走りたがる10代の乙女に、その言葉はまるで、父親が恋愛に反対しているようにも
     聞こえて当然なのだろう。
      いわゆる、「ロミオとジュリエット効果」というヤツだ。だが当のカリンカもロールも、全くそのことに気づいては
     居ない。
     「男の人ってどーして、ジェフもお父様も、ニブイの!!??ロールちゃぁ〜ん……」
      散々愚意(惚気)を吐き散らしたカリンカは、今度はまたしても悲しさが込み上げてきたのか泣き声になり、
     「私……どうすればいいの〜???」
      酔っ払いがクダをまくような声で、鼻を鳴らした。TV電話ではなくわざわざ電話を寄越してきたのは、もしかしたら
     涙でベタベタになっている顔を見られたくないのではないかと、ふとロールは思う。
     (女の子らしい配慮よね…)
      随分前にTV電話は出来ていたが、未だに家庭に根強く普及しているのは普通の電話だというのはそんな理由かも
     しれない。映像を受信・送信しなければ顔は見えないのだが、真っ暗なスクリーンに、もしかしたら泣きはらした目をしている
     自分が映っているかもしれないというのは、女性にとってあまり気持ちの良いものでは無いのだ。
     「……とりあえず、落ち着いて……本当に、どうすれば良いのかしら……」
      ぐずぐずと泣き続けるカリンカに対して何もできず、ロールは溜息をもう一度つく。
     

      女の子二人が顔の見えない電話を通しておろおろとしている、その同時刻。
      著名な科学者同士も、こちらは顔の見える電話を通して溜息を吐いていた。
      世界的に有名な科学者二人が話し合っているが、実はその内容は、科学に関するものではなかった。
     「私が先ほど、『それなら、付き合うのをやめてもいいのでは?』と言ったら、いきなり泣き出して…」
      先ほどカリンカがロールに述べた言葉は、随分と意訳されていたようだ。……年頃の女の子の被害妄想というものは侮れない。
     「部屋に閉じこもったっきり、かれこれ30分音沙汰無しで…。」
      その間、カリンカがロールとずっと電話でしゃべっていたとは、ライトは知っていたがコサックは知らない。
      どうすればいいのか、と今にもハンカチを取り出しそうな勢いで落ち込む彼に、娘を持つということは非常に大変なことだと
     痛感しながらライトは、今年14になるカリンカを思い浮かべた。
     (気の強そうな子だったからのう・・・)
     「妻に似て気の強い子だったから、もしかしたら今夜にでも駆け落ちするかもしれないんです!!!」
      14の子供が駆け落ちとは有り得ない。が、確かに彼女なら、親に反発しての家出もありそうだった。ならば、とライトは
     一つの提案をする。
     「今、カリンカ君はロールと電話で話しておるのだがね、今は幸い夏休みだし、しばらく此方に『家出』させると言うのはどうじゃろう?」
      家出を推奨するというのは、傍目から見ればとんでもない保護者であるが、これはライト特有のユーモアだ。このまま放っておけば
     自然に解決するかもしれない問題ではあるが、だがもしかしたらこじれる問題かもしれない、どう転ぶかは分からない問題を、一番
     安全に解決するのは、一方的に怒っている方の頭を冷やすことだ。
      この場合、カリンカが少し冷静になれば全く困ったことなど無い、いわば彼女の思い込みの問題なので、とりあえず苛々を外に出して
     しまえば冷静にはなれるので、同年代の女の子が話し相手になってあげればいい、という結論に辿り着く。
      残念ながらロボットのため、ロールとカリンカは同年代、というわけにも行かないのだが、だが五年間の付き合いから、彼女たちがお互い
     に一番良い友達だというのは、ライトもコサックも、重々承知していた。
     「確かに、ロール君ならカリンカの話をしっかり聞いてあげられるかもしれないけれど…宜しいですか?」
     「構わないよ。……今ロールに話してくるから、少し待ってておくれ。」
      そういうと、ライトは受話器をスタンバイ用の曲に変えて、部屋を出た。ロールの部屋の前まで来ると、ロックが困ったような顔で廊下に
     立っているのに出くわした。彼の姿を見るなり、ロックは困ったように眉根を寄せながら駆け寄って、小声で囁く。
     「何か、ロールちゃんの部屋から変な物音が聞こえてくるんです……ライト博士、何か知りませんか?」
     「変な、音・・・・・・?」
     「ええ。」
      ロックは頷き、二人はそろそろとロールの部屋の前まで、何故か足音を忍ばせながら移動する。
      どすん。
      ……確かに、なんとも形容できない音が響いていた。なんとも形容できない、というのは、音自体を形容できないわけではなく、原因が
     全く掴めないから、そう言うしかない。
      その音に首をかしげながらも、ライトは部屋の扉をノックして、入るよ、と声をかけた。
      女の子らしくペールトーンに統一された部屋には、本棚とベッドと机とクローゼットが二つ、それからコンピューターが置いてある。
     他にもぬいぐるみなど色々と可愛らしい小物も置いてあるが、音の現況はそれの何れでも無く…首を傾げる二人の眼前を、何かが猛スピード
     で横切った。
      どすん。
      再び例の音がする。
     「何じゃね?」
     「多分、ビートだと思うんですけど…」
      声が尻すぼみになるのは、あまりの速度にロック自身、それが何なのか確信が持てなかったからで、勿論人間であるライトには分からない。
      どすん。
      どすん。
      銃弾顔負けのスピードで部屋中を駆け回る『多分ビート』に当たれば痛いのだろうか。ロックはそう思って苦笑する。
      ロールは此方に背を向けて、気づいた様子は無い。……片方の耳に受話器、もう片方はビートが立てるどすん、という音しか聞こえていない
     だろうから無理は無いのだろうが、ビートを止めないのはどうだろう……と二人は思った。
      幸いに、というか、奇跡的に、と言うべきか部屋に傷は無い。だが、止めないわけにはいかないかぁ…とロックは嘆息した。
     「僕、先に入りますね。」
      そう言って、ロックは部屋へ入った。ビートは相変わらず狂ったように飛び交っている。ロックの存在などお構いなしだ。
      びゅんっ、と空気を切る音を耳元に感じ、ロックはその瞬間に手を伸ばす。ぽすり、と、先ほどの音とは比べ物にならない穏やかな音を立てて、
     彼の手にビートは納まった。捕まえられたことが悔しいのか、それとも単純に暴れたいのか、じたばたとビートは暴れる。
      空を飛ぶ鳥というには、丸っこすぎるペンギンのような寸胴をくねらせて、何とか逃れようとするが、「空飛ぶ凶器」をまさか放すわけにもいかず、
     ロックは溜息を吐きながら問い掛けた。
     「どうしたんだい、ビート?」
      ビートは答えない。(というか、発声能力が無いから不可能だ。)ばたばたととにかく暴れる。
      ここはやはりロールに言ってもらうのが一番効果的かと、必死にビートを抑えながらロックは彼女の後ろへと近づいた。
     「ロールちゃん。」
     「キャァッ!?」
      後ろから声が飛んできて、よほど驚いたのだろう。受話器を持ったまま彼女は椅子から立ち上がる。
     『どうしたの?ロールちゃん!?』
      今の悲鳴に驚いたのか、受話器の向こうからカリンカの焦ったような声が聞こえてくる。
     「あーもう、ロック……脅かさないでよ、びっくりしたぁ……」
     「びっくりしたも、どうしたも、ビートが物凄く暴れてるんだ…どうしたの?」
     「えっ、どうしたって……」
      ロックを見上げていた瞳がちらりと受話器を見る。まるで受話器の向こうにいるカリンカに、どうする?とでも聞きかけているような仕草だ。そして
     電話の向こうのカリンカも、その眼差しを理解したかのように、憤慨した声で言った。
     『いいわよロールちゃん、話しちゃって。もう、どうしてジェフってロック君みたいに優しくないのかしら??』
     「うん…じゃあ言っちゃうよ。カリンカちゃん、男の子に二股かけられたんだって。」
      神妙な顔で言うロールの向こうで、また悔しさを思い出したのか、カリンカの盛大な泣き声が発生した。それに同調するかのように、ビートも再び
     じたばたと暴れ出す。
      大好きなカリンカが泣いているのが悔しくて堪らないのだろうが、周りに居る人間にとっては、危ないだけの公害だ。というか迷惑だ。
     「それでね、その話をコサック博士に言ったら……別れなさいって言われたんだって。」
      流石に酷いよね、とは言わなかったが、ロールの表情は明白だった。口元は微妙に、何かを堪えるかのように引き歪んでいるし、目元ももうすぐ
     泣き出すのではないかと(というか多分もう泣く)思うくらいに潤んでいる。
     「……それは……」
      ロックも目を見開いて口元に手をやる。完璧に女の子二人のペースに巻き込まれ、それは酷い、と思う気持ちがふつふつと込み上げてきた。
     「酷いね」
     「酷いでしょ??」
     「それは酷いのぅ……」
      ビートのため出遅れてしまったライトが、その酷いコールの最後を飾った。
     『おじ様?おじ様も其処に居るの?』
      その声を聡く聞きつけたカリンカが声を放つ。
     「カリンカや、話はしかと聞いた。それで君は、これからどうするつもりなのかね?」
     『家出するわ!!ジェフの顔もパパの顔も、もう見たくないもの!!!』
     「…………そんな、カリンカちゃん、家出なんて!!」
      ライトの登場により、幾分良心を取り戻しかけていたロックが叫ぶ。
     「そうよ、危ないわ!!」
      続いてロールも、ある程度理性を取り戻した。
     『だって……!!大丈夫よ!!何とかなるわ!!??』
     「ならば暫く、わしの所へ来るかね?」
      何とかなるで何ともならないのが、世の中であるが、まだカリンカはそれを理解していなかった。苦笑しつつもライトは、コサックとの打ち合わせ通り
     カリンカを、安全な場所へ「家出」させようとする。彼女と、そしてロールがその言葉に諸手をあげたのは言うまでも無い。
     『本当!?いいの、おじ様?』
     「ここならロールもおるしな、いいだろう?」
     『うん!じゃぁ今から、飛行機を予約して…あ、駄目だわ、ドアの外にはパパが居る!!」
      ライトは知らなかったのだが、コサックは電話線をカリンカの部屋の前まで引っ張ってきていたのだ。
     『大丈夫、窓から飛び降りれば……って飛び降りれる距離じゃないわ…』
     「……博士。」
      キャイキャィと喜ぶ二人を横に、ロックはライトに問い掛けた。「家出推奨していいんですか?」
     「コサック博士とは、家出をさせよう、という話になったんじゃよ。」
      こっそりと返す。ロックは納得したように頷いて、部屋を飛び出した。
     「カリンカちゃん?今ロックが迎えに出たから、あと二時間くらいで着くと思うわ!」

 

 

     第二章 荒野に一人狼は吼える
   
  荒野といえば、何処を思い浮かべるのだろうか?問われれば、「西部劇」と答える人が多いだろう。30世紀も近くなり、そんな時代には西部劇という
     ものは不釣合いかもしれないが、だが、未だにそういったロマンを愛する男たちも居るのだし……荒野も、残っている。
      実際に、未だにジャングルの奥には保護されているとはいえ蛮族がいるし、森林は保護されるものへと変わっているなど、自然保護に対する意識
     は以前に比べて格段に高まっているということが大きな理由だ。
      環境保護は団体のみ、国のみの責任ではなくなり、それらが合わさった強力な団体によって高い水準で行われ、人々はまがいものの
     リゾートの他、自然そのものの場所をも訪れることが出来ようになった。
      それは、少しでも触れる事で変化してしまうような環境が、多少の事では動じないと程に回復した、ということを示している。
     「自然は女性に似ている」と誰かは言った。それは間違いではないが完全に正しくも無い。「女性が自然に似ている」のだ。もっと言ってしまうならば、
     自然も女性も、互いに似通っている、と言うのが正しいかもしれない。
      どこまでも広いと思えば意外に脆く、脆いと思えば意外にしたたかで。そして無条件に優しいと甘えすぎれば意外に竹箆返しが来る。
      計り知れないという点で、非常によく似ていた。


      さて。あくまでもリゾートとしての意味合いが強いものとは一線を画す、天然そのものの荒野にフォルテは居た。
      別に彼は、観光目的でいる訳ではない。ただ単純に、人目につかない広い所を望んだら、ここに辿り着いただけだ。
      目的は、訓練のため。
      そして荒野を選んだ理由は、人目につくのがうざったいから。
     「じゃぁ、ゴスペル、頼んだぜ?」
      悪戯っぽく笑みを浮かべると、フォルテはいきなり後ろへ飛んだ。追随するように、一振りされたゴスペルの尾がその場所を凪ぐ。唯の打撃では
     なく、テールノズルから噴出されたエネルギーがサーベル状になっているものだ。エネルギー弾と違い、高密度のため破壊力は高い。
      フォルテと言えども、一撃食らえばかなりのダメージを受けることは間違いなかった…故に、訓練は必死のものになり、白熱する…しかも
     更に、ゴスペルには攻撃を当てずにわずに尾だけを狙うという離れ業が今回の目標だった。
      くぁっと、鋭い牙が並ぶ口が開いたと思うと、そこから光弾を打ち込みながらゴスペルが駆け寄る。フォルテがショットでそれを相殺した時にはもう、
     口は目の前だった…そして、尾も。
      びゅ。
      空気を切って、刃がフォルテに向かう…狙うは、動力炉。彼の唇がかすかに、笑いを作った。体をゴスペルの下に潜り込ませるようにしてスライディング
     し、その二つをかわしてみせる。負けじと刃はいきなり出力を上げ、その長さをいきなり40cm伸ばした。紅い瞳が大きく見開かれた。
      顔の前に迫った刃を間一髪横に転がるという無様な方法で避けたが、その刃は地面を激しく穿っている。
     「お前、それ意思で長さを変えられるって……言わなかっただろ!!」
      叫びながらフォルテはショットを放った。尾は途中で千切れ、吹っ飛んで地面に落ちる。ゴスペルは参ったと言いたげに、行儀良く前足を揃えて地面に
     座り込みながら、彼の言葉をそ知らぬ顔で聞き流している。
     「……一瞬、本気で死ぬかと思ったぞ……」
      立ち上がって服についた泥を払いながら、フォルテはぼやいた。それほどまでに苛烈な一撃だった。形だけの毛づくろいを始めている、
     「まぁ。」
      頼もしい、というか恐ろしい相方を見やりながら、だが彼は確かな満足感から浮かんでくる笑みを抑えることが出来なかった。
     「……俺生きてるし、あの位やらないと訓練にはなんねーよな?」
     『その通り!!』
      普段の冷静さはどこへやら、まるで子犬のように嬉しそうに叫びながらゴスペルはフォルテに飛びついた。反動で倒れ込むその上に飛び掛り、
     犬がするように所かまわず舐めまくる。ざらざらした感触がくすぐったく、声を放って彼は笑った…が、ふと生真面目な表情になって、呟く。
      真っ青な、どこまでもどこまでも青くて高い空を見つめながら。
     「お前がパワーアップしたのはいいけどな。俺がまだ使いこなせてないなんて、な……。」
      先日、要塞の中から回収したチップの事を言っているのだと察し、ゴスペルもはしゃぐ顔をやめて、大人しく胸の上から降り、主人の顔を眺めて
     その場所に蹲る。誰よりも力を得たいと思っている、彼が……持っているものを使いこなせないということに、誰よりも苦しんでいるだろうということは
     別にゴスペルでなくても想像がつくだろうが、傍にいる分、それが切実なものと感じられて仕方が無い。
      むしろ、苛立ちが苦悩に変わる過程を見せ付けられているようで、いたたまれなかった。
     「情けないよな……」
      自嘲気味に瞳を閉じて、フォルテは呟く。熱い日光に照らされても冴えた煌きを失わない銀の髪が、さやさやと風に吹かれてもたなびいた。
     赤い土の上で、一人と一匹は黙りこくったまま物思いに耽る。

      あの要塞でチップを試し、それが失敗に終わってからも、彼は幾度となくこのチップの効力を試そうと挑戦を続け、そのたびに失敗を続けてきた。
     最初の時見たような幻覚に襲われる事は無かったにしても、全身を這い回る苦痛に耐えられず、何時も何時も断念してしまうというのが正しい。
      痛い、という言葉では形容できなくなるぐらいの苦痛があるということを、初めて知った、とフォルテに言わせしめる位だから、その感覚は生易しい
     ものでは無いのだろうとゴスペルは考えているし、フォルテ自身、出来ればもうこのチップをお払い箱にしてしまいたいと何度も思った。
      その度に自分を叱咤し、結果、時々思い出したように発動させてみては耐えられなくなってやめる、という不毛な繰り返しが彼とそのチップの
     間にはある。

     「………」
      俺はこれを使いこなせるのだろうか。……疑問を覚えてフォルテはかすかに眉根を寄せた。
     (まさか糞親父……偽者掴ませたんじゃねえだろうな??)
      心中で呟く。だが、彼の知るワイリーの性格上……その可能性も、無きにしも非ず、と言えよう。
     「…ゴスペル。」
     『?』
     「こんなガラクタ、使わなくても勝てるよな。」
      そう言った瞬間、フォルテは、恐ろしいことに気づいてしまった。これは、読み込みの最中……つまり痛がっている最中には、全く自分が無防備だと
     言う事に。使わなくても、勝てる……要するにガラクタ。というか、使う価値が無い…使っても意味がない・・・
      みるみるうちにその形相が変わる。
     「あんの、糞親父---!!!!!!」
      恐ろしい予感は、だがもしかしたら現実かもしれない、いや、もしかしなくても……ハメラレタ?
      そこまでの結論に辿り着くと、転瞬、力の限り地面を殴りつけて、彼は叫んだ。
     「意味無いもの、俺に渡すんじゃねぇぇぇぇぇ!!!!!」

      そうと決めたら、行動が早いのがフォルテの長所だ。
      先程殴った地面には小さなクレーターが出来ていたが、自分勝手な彼らしくそれは無視して、チップを取り外そうと皮膚をスライドさせてポートを出す。
     「………………」
      普段はすぐにその姿をあらわすはずの、薄い金属の板は、だが今回に限っては出てこなかった。まるでドロップの缶を振ったのに何も出てこなかった
     子供のような顔で、立ち尽くす。元が美形の分、アホ面は益々アホっぽく……見えた。

 

 

 

     第三章 想い人・想い影
      荷造りを終えたカリンカは、約束の時間が近づいてきたこともあり、大人しく座って窓の外を眺めていた。
      グリーンランドの夏は爽やかだ。日差しは強いものの窓から吹き込む風は涼しく、東洋のような暑苦しさは微塵も無い。
      窓によって長方形に切り取られた真っ青な空からは、白い雲しか見えてこない…が、その中に一点の黒を見つけて、カリンカは窓に駆け寄り、
     身を乗り出すようにしてそれに目を凝らした。
      それは瞬く間に大きくなり、すぐに彼女にもそれが何か判る位になる。
      少年が一人、ホバージェットに乗ってやってきた。柔らかい茶色の髪が風にもたなびき、整った顔立ちが、窓辺に立つカリンカを認めた瞬間に
     ニコリと優しく微笑む。
     「お久しぶり、カリンカちゃん、遅くなってごめんね。」
     「ううん。こっちこそ突然引っ張り出しちゃって…。」
     「気にしないで。さ、先に荷物運んじゃおう。…部屋に入っちゃうけどいいね?」
      カリンカが年頃の(といってもまだ10代前半だが)女の子だということを配慮してロックは聞いたが、当のカリンカはあまりそのことを意識していな
     い。全く気にせず、彼女は手をひらひらと振った。
      部屋の中は柔らかい桃色で統一され、ぬいぐるみやアンティークドールが場所を共有するようにして置かれている。最も、ドア付近にある巨大な
     スーツケースが、その統一感を台無しにしていたが…。女の子の部屋って、こういうタイプが多いんだなぁ、と納得しつつ、彼はそのスーツケース
     をホバーに積み込み、カリンカが乗りこむ手助けをしようと手を差し伸べる。
      ところが、カリンカがその手をとろうとし、ロックに「ありがとう」と言おうと顔を上げた瞬間、奇妙なまでに時間がとまった。
     「??」
      ぼぅっと、まるで奇妙な、感動的なものを見たかのような表情でカリンカはロックを見つめる。
      手を差し伸べて笑う彼の顔が、一瞬、以前自分を助けてくれた謎の青年とダブったのだ。サングラスの下はおそらくこうであろう、と想像させてしまう
     ほどに、その表情は酷似していたのだ。
     「カリンカちゃん?」
     「え、あ、うん、ごめんね〜。」
      ロックの訝しげな声に、慌てて彼女はホバーの後部座席に乗り込んで、シートベルトを締める。最後に忘れ物は無いかと部屋を見まわしたカリンカは、
     大変な事に気づいてしまった。
      部屋の窓が閉められない…という事だ。
     「大変、窓どうしよう!?雨が降り込んできちゃうわ!!」
     「大丈夫だよ。雨が降ってても窓が空いてるなら、他の人が気づいて連絡してくれるって。」
      はっきりと大きな、幾分芝居がかった声でロックは言った。勿論相手はカリンカだけではない。扉の向こうで耳をそばだてているコサックにも聞こえるよう
     に言う。
      勿論それを聞き逃すコサックでは無い。確認の印に、ロックが持っていた携帯端末がピピッと小さく音を立てて、それを確認した彼は一つ頷くと
     ホバーを発進させた。

     「凄く変なこと聞いても良い?」
      他愛もない話をして、一旦話題が途切れたその時、不意にカリンカは真面目な声で切り出した。
     「私が、Dr.ワイリーに攫われた時、助けにきてくれたのって…ロック君の親戚じゃないよね?」
     「えっ?」
     「あー、ううん。親戚なんて無いわね。たださっき、ロック君が手を出してくれた時、物凄く似てたんだ…助けに来てくれた人に。」
      どうしていきなりこんな話が出てきたのだろうと思いつつ、ロックは頷いた。彼は勿論彼女を助けたのがブルースだという事を知っているが、
     自分とブルースが似ているとはどうしても思えない。
      あまり鏡を見ることは無いとはいえ、あのサングラスで表情を隠した彼と似ている、と言われると、違和感を禁じえないのだ。
      まぁそれは、思いこみの問題とも言えよう。ロックは自分が「少年」に属する顔だと思っているし、ブルースの顔立ちは「青年」に属するものだと考えて
     いる。自身の性格のイメージと年齢差が視界を曇らせ、彼はカリンカの言う、「顔立ちの基本的なパーツが似ているから微笑い方も似ている」という結論
     に辿りつけないのだ。
     「名前はブルースさん、って言ってたなぁ…凄く格好良くて、背高くて。…あー、ロック君な訳無いわね。身長が違いすぎるもん。」
     「そうだね。」
     「でね、私その時思ったんだ…この人が『王子様』なんだって。」
     「王子様、かぁ…」
      ロックは言い淀んで視線をさ迷わせる。ブルースが人間ではないと告げるのは、少女(見た目は同じだが実際はロックの方が4歳上だ)の優しい夢を
     壊すようで躊躇われた。カリンカはその時の思い出を噛み締めるように、うっとりと手を握り締めて呟いた。
     「私が今の彼氏と一緒にいるのも、ちょっとだけその人に似てたからなんだぁ…でもなんか、ロック君見ちゃったら、全然駄目駄目に見えてきちゃった。」
      だってニキビあるんだもん!!ぐっと手を握り締めて叫ぶ。あまりといえばあまりにも面食いな、少女らしい発言にロックは思わず笑いを零した。
     「ふふ…その人に失礼だよ、そんな事言ったら。」
     「だって、浮気してたんだもん!!…私、ロック君と付き合いたいなぁ〜。」
     「え!?」
      今度こそ度肝を抜かれ、彼は思わずぐるりと振り向く。するとそこには、楽しそうな笑みを浮かべたカリンカの姿があった。びっくりした、と呟き、ロックは
     再び前に向き直る。
     「冗談、冗談!!!だってロック君にはロールちゃんが居るでしょ?」
     「…ロールちゃんは。」
      明るく言う少女の言葉は、まるで硝子のように彼に突き刺さった。レバーを握る華奢な手に僅かに、無意識のうちに力が篭る。

      …僕の妹だよ?カリンカちゃん。

      その言葉を放とうと思ったが、何故か喉に支えたかのように出てこない。仕方なく飲み下し、ロックは笑みを作った。掠れる声で、そうかもね、と
     答えながら。

 

 

 

     「カリンカちゃん!!」
     「ロールちゃん!!凄く久しぶりーーー!!!!」
      ホバーが着陸するや否や、カリンカはロールの姿を認めてぱっと飛び降りた。
     「あ、危な…」
      ロックが制止するのにも構わず、少女二人は手を取り合って無邪気にぴょんぴょんと飛び跳ねている。彼は小さく息をつくと、何が詰まっているのか
     確認してみたくなるくらいに重たいスーツケースをライトットに手渡す。
      重いダス…とぼやくライトットにごめんね、と誤り、ホバーから飛び降りて再びケースを受け取る。見た目はライトットの方が運搬役には向いていそうな
     のだが、コレほど重いともう力仕事、今研究所に居る限りではロックの担当となってしまう。
      ほっそりした腕に似合わないほどの腕力で、ロックはスーツケースを抱え上げて家中へと戻った。
      その後ろをついて歩きながら、カリンカは凄い凄いと連呼する。勿論、彼女のクラスメートでそんな芸当が出来る者など居ない。
     「時々、ロック君もロールちゃんも、なんか変な人間に見えちゃうのよねー。」
      夕食後、三人並んでリビングでTVを見ている最中、カリンカが不意に言った。
     「変な…」
     「あっ、あっ、違うの!!そういう意味じゃなくって!!何て言うの、超人?」
     「超人…」
      女の子って判らない…心の中で呟いてロックは首を傾げる。
     「要するに、えーっと、なんか人間に見えるんだよね…」
      カリンカは感慨深げに言うが、次の瞬間にはくるりと表情を変えていた。彼女の表情は万華鏡のようにくるくると変わるが、その全てが無邪気で
     華やかだ。将来的には、今は亡き母親に似てきっと物凄い美人になるのだろうが、今は只管に愛くるしい、
     「だから、二人ともモテるんじゃない!?」
      年相応に恋話が好きな美少女だ。突然吹っ飛んだ会話の内容についていけず、目を白黒させるロックの傍らで、ロールはさぁどうでしょう、
     とばかりに笑いながら首を傾げる。
     「ロック君は学校行ってないけど、確かロールちゃんは行ってるんだよね?」
     「うん?…ええ、そうよ。」
      ロボットが学校に行く承認を、法律に先がけてライト博士が手に入れたのはもう8年も前の話になる。その後、外見年齢の考慮や、ロボットを学校
     に通わせるための法律の改正などを待った結果、ロールは第二次教育…俗に言う「中学校」の授業を当時の友人達と受けることになった。
     「じゃあ何かあるんでしょー??女の子同士だから平気だってvv」
      良く判らない理論と立てた指をを振りかざし、ホラホラ言っちゃいなさいよぉー、とカリンカはロールに詰め寄る。
     「あ、それともロック君の前だから言い辛いとか?」
     「あー、僕、席外そうか?」
      ロックは席を立とうとしたが、少女二人のほうが反応が早かった。
     「女の子同士の話だから、部屋に戻ってすることにするね。」
      ぱっと立ちあがったロールが器用に片目を瞑って言い、カリンカはやったぁ、と嬉しそうにパチンと手を叩き合わせて。二人は連れ立って階段を
     上っていった。鈴を転がすような笑い声が漣のように引いていくのを聞きながら、彼は先ほどまでロクに見てもいなかったTVの画面に目を向ける。
      丁度、女性が毒を呷るシーンだ。
      そこへ、いきなり
     「男子禁制とはこのことダスね〜〜」
      後ろからライトットがぬっと顔を出して言い放ったので、ロックは思わずソファから転げ落ちそうになった。

 

 

 

     第四章 オウジサマシュギ
      トントントントン、と軽い音を立てながら、カリンカとロールは二階へと上がっていった。
      半歩先を上っていくロールの華奢な背中が、細い腰が、柔らかそうな髪がカリンカの目に入る。奇妙な調和は見なれたものだったが、
     今改めて見ると、やはり不思議なものにも見える。
      ロックとロールが並んでいれば判らないのだが、彼らがいわゆる「普通」の子供と並ぶと、その違和感は益々顕著なものとなってしまうのだ。
     スタイルの良さには少女ながら定評があり、自負もしているカリンカすら「あれ?」と一瞬思ってしまうほどに。
     「ねえ、ロールちゃんってさぁ…もしかして、あんまりモテない?」
      部屋についた瞬間、カリンカは真顔で聞いた。驚いたことに、
     「うん。」
      ロールもその言葉に頷く。
     「男の子達、引いちゃうかなー、ってさっき思ったの。ロボットも大変ねぇ。」
      その言葉に彼女は苦笑した。カリンカの声には勿論悪気は無いのだが、ロボットと人間が恋に落ちる、ということは響きのロマンチックさとは
     裏腹に社会的に様々な制約を受けることが多く、事実孫を楽しみにしていた両親と決別した女性も居た位なのだ。
      随分仲良く暮らしているとはいっても、やはり人間の優越感は拭い去れてはいないし、子供を作れないということも、両者の交際が世界的
     に認められない大きな要因だろう。さらに、人間型のロボットの数が少なく、社会問題になるほど件数が多くないということが、法律改正の
     足を止めている。
      先ほどの女性のケースは、カリンカが4〜5歳の時に起きたものだから、彼女が知らないのも無理は無かった。

     「でも、二人か三人くらいは居るでしょ?度胸ある男の子vv」
     「うーん、まあ、ね……二人位…」
     「で?で?どうなった?」
     「…うーん。どうもならなかった、かな?」
     「ふぅーん…。」
      首を僅かに仰向け、カリンカは何かを考え込む。なんとなく次に来る言葉が予想できて、ロールは慌てて話を横に振る。これ以上聞かれて
     も、今一彼女が納得するような答えは返せないだろうと思ったのだ。
     「ところで、カリンカちゃんはどうするの?今の彼氏との事…。」
     「…やめたの!!」
     「やめた?」
      あれほど泣き叫んでいたものをあっさりと「やめた」とは一体何なのだろう、と半ば呆気に取られながらロールは思った。
     「私が、ジェフを好きになった理由って、もう話したっけ?」
     「ううん…?」
     「私が拉致された時、助けに来てくれた人に、ちょっと似てたの。」
      脳裏にまざまざと思い出される、初恋の人の影。
     「ブルースさん、って言うんだけどね。物凄く格好いい人で、見た瞬間、この人が私のオウジサマなんだ!って思ったんだ」

 

     『怪我は無いな?』
      パタン、と隠し部屋の入り口が開き、青年が姿を見せた。2重構造になっているため、恐らく誰も気づかないだろうと泣き叫びながらも
     悟っていたカリンカは、突然の訪問客に呆然となる。
     『あなた…誰?また、私をどこかに連れていくの?』
     『お前を家に帰しに来た。…名前はブルースだ。』
     『私、帰れるの?』
     『ああ…コサック博士も心配しているぞ。』
      微かに口元に微笑を浮かべ、彼はカリンカに手を伸ばした。その笑みに、当時まだ幼く、映画の姫になれると信じていた彼女は確信した。
      この人が、私の運命の人なんだ…と。

     「ふぅん…。」
     「また、遭えるかな…?」
     「きっとね。ロックも何回か、彼に助けてもらったこと、あるみたいよ。」
      何ともいえない笑みを浮かべてロールは頷いた。
      その表情に気付かないのか、うっとりとカリンカは続ける…
     「そう…やっぱり王子様なのね!」
      勿論この年で王子様を心から信じているわけではない。だが「運命の人」を「王子様」と呼ぶことで、あの日の自分と今の自分を連続
     させているのは、年頃の少女なら良くあることだろう。
     「もうジェフなんて目じゃないわvv」
      だが…訂正しよう。彼女にとっての王子様は、「偶像的な理想の男性」だ。カリンカはつまり、アイドルを偶像化するのではなくブルース
     を偶像化している。
      すっかり恋する乙女モードに入ってしまったカリンカの姿を見て、ロールは薄ら寒い感情が胸のうちに広がるのを止められなかった。丁度
     雨雲が垂れ込めていくように、其処では今にも何かを吐き出しそうな塊がトグロを巻いている。
     「さ、もう今日は寝ちゃいましょ?明日は何しよっか……?」
     「とりあえず、宿題やらなきゃねvv」
     「あ、やっぱりカリンカちゃんの方も出たの?夏休みの宿題。」
     「うん…何かムカツク位大量に…花の夏休みが、お陰で台無しよぉ…。」
     「ちょっとズルだけど、今日と明日でまとめてやっちゃいましょ?で、休みの終わり前に復習すればいいじゃない。」
      あーあ、と見も世も無さそうな大げさな溜息をついて、カリンカはベッドに突っ伏した。僅かにウェーブのかかったセミロングの髪が、その後に
     続いてシーツに散らばる。だが、そのまま動く気配が無い…長旅の疲れと興奮で、瞬間的に眠ってしまったようだ。
      それを見てロールは微笑し、「おやすみなさい」と呟いてカリンカに薄い布団をかけてやると電気を消した。

 

      翌日。
     「判らない。」
     「……」
      ロックとロールは苦笑しながらカリンカのノートを覗き込む。
     「どうして、こうなるの?」
     「…カリンカちゃん、授業中寝てたんじゃない?」
      ロックが指した先には、なんだかよく判らない、字だか記号だかわからないものが大量に生産されていた。ミミズがのたくったような感じで
     記号が波打ち、とてもとても読めるような代物では無く、その上あちこちダブっている。綺麗なところは綺麗だが、多分四割くらいはミミズで
     構成されていた。
     「…やっぱり、そう思う?」
     「「うん。」」
      がっかりしたように尋ねるカリンカに二人は即答した。授業中眠くって…と困ったように笑う彼女に溜息をつきながら、その午後は殆どノート
     の解読と想像しての穴埋めで終わり、宿題に手をつけたのはほんの僅かだった。
      宿題を終わらせたいという彼女のたっての希望で、というか、夜更かししたい、というたっての希望で、夜を徹しての勉強会が開かれたという
     のは、また別の話である。

 

 

     第五章 世界の中心に、人間を見る
      レコーディングが終わったのでJADE SINのメンバーは晴れ晴れとした表情で控え室に戻り、思い思いてんでばらばらに一曲を全力で
     造り終えた達成感に浸っていた。…たった一人を除いて。ベースのシンだけは何時ものように全く表情の浮かばない顔で黙々と片付けに
     入り、ベースの入った鞄を無造作に担ぐと
     「すまんな、先に上がる。」
      の一言を残して外へ出て行ってしまった。長く揺れる金髪だけが黒一色の、明らかに概観だけを意識した服の背中で揺れているのが
     妙に浮き上がって華やかだ。
     「今日も無愛想だな。」
      ボーカルのジェイドがその後姿を眺めて、肩を竦めながら呟いた言葉に、他のメンバー達も一様に頷く。彼らの中でもシンだけは異質
     な存在で、ジェイドが引っ張ってきた腕の立つベースだということしか認めていない。勿論向こうがその気ならばいい仲間になれるだろうが
     シンはそれすらも拒絶しているようだったので、彼らは今のところ打つ手も無く、喧嘩をすることもなく、グループを続けている。
      テレビやインタビューではバンドらしく格好をつけたりしているが実際のメンバーはといえば皆それなりに性格のいいメンバーばかりで、
     はっきり言ってしまえばシンとも仲良くやっていきたいと思っている。高校のとき組んだメンバーがついうっかり人気になってしまい、大学
     に行く前にデビューしてしまったという極めて異例、というか現実を舐めきっている彼らは、辛酸を味わっていないだけ他人に寛容でいられ
     た。売れなくなったら大学に入りなおすとか、家業を継ぐとか。そういうことをきちんと考えられるような環境や教育だったことも大きく加担して
     いる。
     「腕は立つんだけどなー」
      アンバーが溜息交じりに言い、再びメンバー達は一様に頷いた。
     「俺、思うんだ。奴にはきっと、年上の恋人がいるに違いないって。」
     「年上?」
     「何でまた。」
      好奇心たっぷりな視線を向けられて、うっかり発案者であるアレク(本名はアレックス。)は暫く戸惑ったようだったが、やがて胸をはって断言
     した。年上の女に可愛がられそうなタイプだからっ!と。長年付き合ってきた彼らには、アレクのその行動が明らかに窮地に陥ったときの開き
     直りであると言うことが悲しいくらい良く判っていたので、それ以上突っ込むのは辞めておいた。お前の妄想癖は幾つになっても直らないな、
     とジェイドがぽんぽんと肩を叩き、どこか同情するように言う。いや、彼の目は完璧に哀れむようだった。…う、と詰まると、アレクはしょぼん…
     と小さくなる。
      それを笑いながら、だがジェイドはふとあることを思い出して冷水をかけられたような面持ちになる。
      …自分は彼の私生活を知っているのだろうか。

 

      答えは、否、だった。

 

      メンバーのそんな素朴な悩みなど露知らず、シンは黙々と外へ出て止めてあった車に乗り込んだ。
      ここから彼の「家」までは随分時間が掛かるのだが、今日は月に1度の定例報告の日なので仕方が無い…家の住所だけを入力すると、
     彼はシートに持たれかかって、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
      結局「家」についたのはその4時間後。山のふもとにぽつねんと建っている一見普通の民家の前で車は止まった。至って普通の家だが
     入るための必要なのは鍵ではない。玄関に足を踏み入れるや否や取り付けられていたカメラがシンの全身をスキャニングし、自動的にドア
     が開いた。
      浮かない顔で彼は、普通の家ならばリビングに繋がっているであろうドアを開く。そこにあったのは、無機質な機械の箱。
     「…ドクターの所へ。」
     『リョウカイ シマシタ』
      シンはこの空間が嫌いだった。
      ここでは彼は、「シン」ではなくただの無。彼の存在はここでは認められていない。
      ゼロ。何者でもないもの。ナンバーも、名前すらも与えられなかった者。
     (まだ、シンという名前のほうが意味があっていい。)
      ゼロは心の中でつぶやきながら、エレベーターから廊下へ出て行く。研究室に向かう途中で目に入ったのは、不機嫌な顔で足早に歩いて
     くる、ワイリーのスペシャルナンバーズ…フォルテ、の姿だった。
      どうやら機嫌の悪さは最高潮らしい。ゼロになどは目もくれないように、靴音も荒く大またでずかずかこちらへ向かってくる。
      一番嫌な奴に遭ってしまったと彼は心の中で舌打ちするが、廊下は一本道で避けることもできない。
      
     「ぐっ…?」
 
      腹に鈍い痛みを感じたのは、擦れ違う瞬間だった。加速もモーションもなく放たれた他愛もないフックだったが、紛れもない戦闘用ロボットの
     一撃は強靭だ。耐え切れず、ゼロは膝をつく。
     「はっ。」
      それを見下ろして、フォルテは鼻で笑った。
     「悔しかったらやり返してみろよ。おまえ、本当は戦闘用なんだろ?」
      だが彼は動かない。憎悪の滴るような目で、相手を睨み付けるだけだった。
     「この間、TVでお前を見たぜ。『SIN』って名前で。…罪とはずいぶんご大層な名前だな。」
     「違う。俺は…ゼロだ。」
      ゼロ、という言葉に、フォルテがどんな意味合いを感じたのかゼロには判らない。だが、恐らく彼は「ゼロ」と「何もない」という意味に悟ったの
     だろう。その表情が侮蔑を通り越してすっと能面のようなものに変わった。声すらかける価値もないと判断したか、もう会話すら交わそうとはせ
     ずに歩き出す。盗み見た視線の先でゴスペルが振り返っているのが判った。
      同情なのか、侮蔑なのか、その紅い瞳からは窺い知れない。だが、同情するくらいならば貴様が俺になれ、とゼロは低く唸った。お前の主
     人の餌になるがいい、と。

      ワイリースペシャルナンバーズ、ゼロ。
     「ゼロ…帰っておったか?」
      その役目は、どう足掻いても追いつくことがないフォルテの「時」を埋めること。戦いの回数ではない。純粋な、「生」の時間が必要なのだと
     ワイリーは結論付け、そして彼を創り出した。
      フォルテの影。やがて統合されるまでのデータ収集。生きること。それだけが、彼の、存在意義。
      彼自身の価値は、ゼロ。
     「…これが一ヶ月のデータです。」
     「判った。メンテナンスルームへ行っておれ。」
      ほかのワイリーナンバーズに聞けば、『ワイリー博士は俺たちロボットを好いてるんだぜ!』という答えが返ってくるのだが、ゼロにはどうして
     もそうは思えなかった。
      いや、とゼロは思い直す。
      ワイリーが、ロボットを好いているというのは本当だろう。
      彼は、愛している。自分の息子を。フォルテのことをダメな奴、言うことを聞かない、と罵りながらも、フォルテのパーツ開発やプログラム開発に
     向かう彼は、楽しそうだとワイリーナンバーズは言う。
      博士があれだけフォルテを贔屓にするから、他のナンバーズもあの暴虐っぷりには(実際に勝てないという現実もあるが)目を閉じているのだ。
     そこにあるのは、「選ばれたもの」の絶対的な、壁。
     

      人間の世界の中心にいるのは、いつも人間の欲望。人間の行動基準を決めるのは人間の願望。
      フォルテは、その願望の中心にいる。
      もし、彼がそこにいなければ。自分がこの役を振り当てられることもなかっただろう…。そもそも自分が作られたかどうかすらさえ曖昧だが。

      そう思いながら、彼は廊下を歩き出した。

      先ほど腹のダメージよりも、何故か、胸が痛かった。
      

                                                                      05 Days 終わり。次へ