(どこだろう…)
 濡れたような黒目がちの瞳が、まるで群れから逸れた小鹿のようにおどおどと彷徨っていた。小走りになりかけながら、
音花は落ちつかなさそうに視線を彷徨わせる。現家元が見たらはしたないと叱り飛ばしそうな光景ではあったが、
そんなことを気にしている場合では無かった。先ほどから、何処を探してもPETが見当たらないのだ。
 他のものならばいざ知らず、PETの中にいるのは、この屋敷において略唯一の彼女の味方である彼女のナビ、マイヒメで、
母親よりも母親らしい彼女の姿が見えないということが、音花をうろたえさせた。
「あ。」
どこにいるの…泣きそうになりながらも必死に探しているうちに、偶々目に留ったのは、庭の片隅で咲き誇る桜の樹。
晴天に向かって堂々と伸ばされたその腕の先に、小さな人影が二つあった。
薄っすらと発光するその姿に一瞬桜の精が座っているのかと錯覚したが、
よく見れば片方は見慣れ過ぎるくらい見慣れた赤を貴重とした装い…マイヒメだ。
その隣に女王然と腰掛けている白いナビに全く見覚えは無かったが、まるで二人は旧知の友人のように言葉を交わしている。
咲き乱れる桜の花の上での対談は、一幅の絵のような光景でもあった。

 何となく声を掛けられない雰囲気の中、さらに歩み寄ると、足音に気づいたのか、女は彼女のほうに優しい目を向け、
あら、見つかっちゃった。
とでも言うように僅かに口元を緩め、立ち上がった。
見てはいけない光景をだったような気がして音花ははっと息を呑むが、一瞬の後にその姿はかききえ、
後に残されたのはマイヒメのみだった。
「マイヒメ…今の人は?」
 樹の根元に落ちていたPETを拾い上げながら問いかけると、彼女はわかりません、と答えた。 
「桜が綺麗だから、間近で見たくなった…そうです。」
 この庭に来るのだから、それなりに厳重なセキュリティを掻い潜って来たことは間違いない。それが桜の為だけとは疑わしいことこの上無いが、
何故かそれを納得させるだけの典雅さを彼女は持ち合わせていた。風雅さを愛するマイヒメとは、きっと馬が合ったのだろう。
「そう。」
 だから笑みすら浮かべて音花は頷き、白いナビを魅せたという桜に視線を戻した。

音花にとって、この屋敷は彼女を縛るものでしかなく…その重苦しさのせいで忘れていたが、改めて見れば、風情のある桜だった。

この場所にも美しいものがあるのだと、改めて思い知らされたような気がして、音花は思わずマイヒメを見やる。

その視線に応えるようにこちらを見てきた彼女の横を、ひらひらと花弁が舞い落ちていった。