01プロローグ

 窓を叩く雨の音も、時々鳴る雷も、全てがジェネラルにとっては遠いものだった。
 大規模な災害時に対応するために設立された、レプリロイドのみで構成される軍隊、レプリフォースの総司令官たる
彼を沈黙させる程、彼の眼前に立つ男は強烈な“何か”を放っていた。存在感・・・そう呼ぶにはあまりにも男が纏う
気配は毒々しく、そして重い。フードの下から微かに覗く目は、イレギュラー特有の憑かれた様な暗さを持っていたが、
その態度はあくまでも落ち着き払っていた。
 その矛盾こそが恐らくジェネラルを凍らせる一番の要因なのだろう、全身を覆うマントとあいまって男はまるで闇が
影から悪意を伴って起き上がってきたかのようだった。
「イレギュラーハンター。人間に尻尾を降ってレプリロイドを破壊する者共。危険だとは思わぬか。」
 男はゆっくりと口を開く。今でこそ共の一人も連れずに居るが、彼が元々は他者の上に立ち、支配する存在であった
ことを示すような、威厳と深みのある口調だった。
「ジェネラル。お前も判っている筈だ。奴らは単にに人間に隷属しないレプリロイドを破壊しているに過ぎぬ。」
 思うところがあったのかジェネラルは黙ったままだった。確かにイレギュラーハンターとは、人間の意に背いて暴動を
起こすなどしている「イレギュラー」を刈るための存在なので男の言うことにも一理ある。
「やられる前にやれ。お前達には奴らから離れる為の強大な力が有る筈だ。」
「お断りしよう。人間を裏切ることはできん。立ち去れ。」
こわばったジェネラルの顔を見て男は笑い、そのまま背を向けて影の方へとにじり歩く。送るともなしにその姿を見た
が、それが視界から消えてから、やっと緊張から解放されたかのように彼は細く息をついた。
「イレギュラーハンターが、危険、か・・・」
 先程の男に言われた言葉を繰り返す彼の顔には何とも言えない複雑な表情が浮かんでいるが誰もそれを見ることは
無かった。雷鳴が光らなくては、電気のついていないこの部屋は殆ど暗闇だったからだ。

 

「嫌な天気だ」
 同時刻、降り頻る雨と時折光る空を眺めたエックスはコンピューターから目を上げて呟いた。
今日は恐らくもう出動は無いだろうし、雨など関係無いと言ってしまえばそれまでなのだろうがどうしても、空気さえ絡み
付くような湿った霧雨は好きになれない。空気の重さが手足にへばりついて動けなくなるような感覚が彼は苦手で、
偏頭痛持ちの人間じゃないだろうが、と同僚・・・彼の最も親しい友人は そんな軽口を叩きはしない・・・は言うのだ。
 もう一度彼が目を画面に戻したときドアが軽い音を立てて開き、金髪の青年が姿を見せた。膝まであろうかという長さ
の髪をひとまとめにくくっているがその長髪は中性的な雰囲気をかもし出すと言うよりは寧ろ、その端正な顔立ちを引き
立たせるためのオプションと言うのが正しいだろう。仕事に出ていた親友の帰還にエックスは微笑し、おかえり、と言った。
「ゼロ」
「何だ」
「水溜まりが出来てる。」
 ただそのオプションも水分の前では形無しだったようで、長い尻尾としか形容出来ない姿にまで変化してしまっている。
一応エア・クリーナーには入って来たのだろうが、そもそも長髪のレプリロイドの使用を想定していなかったのか、ゼロへ
の恩恵はイマイチだったようだ。絶対にゼロも雨の日は嫌いに違いない…勝手にそんなことを想像してエックスは声を
あげて笑った。ただし、その理由は、「濡れるから」であって、決して彼と同じ、「空気が絡みつくように重いから」ではない。
 ゼロの感覚は、性格の問題だろうかエックスと違ってかなり即物的で大まかだ。濡れて重くなれば不快だが、湿った
空気程度なら毛ほども気にしないだろう。この場合の毛は濡れていない。
「…何が可笑しい?」
「ゼロは雨が苦手だろうと思って、可笑しくなっただけ。」
「ああ。」
 それがどうした、と雄弁に肩をすくめると、ゼロはさっさと席に戻った。細かいことには頓着しない彼らしく、濡れた髪など
全く気にしていない様にロングコートの裾を捌いてエックスの側に来る。一見しただけでは単なるデザインのコートだ
が、彼が身に纏っているのは微細な金属繊維で編まれた、「鎧」と形容した方が良いような代物だ。エックスが着ている
のも同じ系統のものらしい。らしい、というのは、彼等二人はレプリロイドの筆頭、「前時代の遺産」と研究者の間で呼ばれ
る、この時代に生まれたロボットではないからだ。
 しかもご丁寧に、二人とも誰が自分たちを創ったのかなどに関しては全くもって記憶喪失状態である。研究者達が彼等
の仕事の合間を縫うようにしては二人を呼びつけ研究を続けているが、判っていることは驚くほど少ない。例えばこの衣服
でさえ、どうして出力に反応して強度が変わるのかはおろか、どうしてこれほど微細な作業が出来たのかすら、今の技術
では謎に包まれているのだ。それから有り得ないほどの戦闘能力を誇るということ、それからエックスはどこかの遺跡で
発見されたということ…ゼロの過去に関しては何も情報は流れていない。
「?どうしたんだ?」
 後ろからまじまじとコンピューターの画面を覗き込まれたエックスは全く動じずに聞いた。
 今彼が確認していたのは、前回のシグマの反乱時に重傷を負った彼の部隊の隊員の体調だった。現在は、イレギュラー
ハンター活動の拠点たるハンターベースから少し離れたレプリロイド専門の病院で療養している。隊員の状態把握と上層部
への状況伝達も隊長たる彼の重要な務めなのだが、それ以上に個人的な心配からか、エックスは暇を見付けては彼の
体調を確認していた。
 どうしたのか、という彼の問いに、たっぷり10秒沈黙してからゼロは端正な顔を微かに歪め、酷い怪我だなと呟く。
 彼を良く知らない者が聞けば、侮蔑と取られかれないような淡々とした口調だ。更に彼の特Aクラスの戦闘能力を考慮に入れ
れば略全員が弱いハンターを見下しているのだと考えただろう。だがエックスはそうだねと頷いただけだった。
彼はゼロが積極的に批判をするような性格ではないという事を良く知っているし、他を見下して優越感に浸るようなタイプ
ならば二つも格下の彼と交際があるわけないからだ。

 イレギュラーハンターの中でハンターは性能別に特A、A、B、C、D、Eの6段階に分けられる。その人数の比率はとても
ピラミッド型と呼ぶ事が出来ないような極端なものだ。大抵の場合、人数の少ないA級以上のハンターはそれぞれ単独、或いは
A級同士で任務にあたり、B級以下との交流は殆ど無いと言ってもいい。高い実力故格下を見下す…とまではいかないものの、
一歩間違えれば脚を引っ張られるようなチームを組むのは出来るだけ避けたいとA級ハンター達は考えているし、割り当てられる
任務の危険さを考えれば彼らが自分自身にプライドを持つのも無理が無いことと言えよう。
 そういう意味でも、ゼロはかなり浮いた存在だった。
 エックスが入隊した時期からゼロは既に第十七精鋭部隊の隊員としてシグマに次ぐ実力者の名を縦にし、その癖シグマとは
対極的に誰とも話すことなく傲慢ともいえる無関心を回りに振りまきながら、愛刀ゼットセイバーで敵を切り裂いては血のような色の
オイルを全身に浴びて帰って来る、そんな異端児だった。黒いはずのコートと金色の髪を紅く濡らして、ほとんど舞う様に戦場を
駆け抜け命を奪う彼を同僚は尊敬と畏怖と恐怖と憧憬とを込めて遠巻きにしていた。その頃からゼロのあだ名には「紅」がついて
いる。
 …そんな彼が目を止めたのが、入隊したてのB級ハンター、エックスで、その時から二人の奇妙な友情は続いている。

 

02 Iris
 ゼロが画面から顔を離した丁度その時、彼が入ってきたのとは反対側のドアが軽い音を立てて開いて、栗色の髪の少女が
姿を現した。彼女の名はアイリス。本職はレプリフォースの一介のオペレーターに過ぎないがさる将校の妹ということもあり、
良くイレギュラーハンターの基地に伝達役として姿を見せていた。
 最初彼女が代表として現れた時、軍事機構同士の話し合いなのでてっきりいかつい大型メカを想定していた者達は
正直言って唖然となったものだ。口には出さないが舐められていると腹を立てた者も少なくは無い。だが、それはレプリフォースの
信頼の証だと気付くまでの話だ。わざわざ、重要なプログラムを持つ非武装タイプを送ってきた理由は、相手が根っからの軍人
であることを考慮に入れればたった一つ、「信頼する」ということに違いなく、アイリスは協定の申し出を運ぶと同時に、
親善大使のような役割を担っていた訳である。
 只でさえ花に欠ける・・・勿論花を模したような形状のレプリロイドは男性である限り勘定に入れない・・・ハンターの中で、
時々姿を見せる彼女はたちどころに有名人となり、今や殆ど、どこの所属か判らないくらいに周りからも好かれている。

 勿論ゼロやエックスとも面識があり、人間型という共通意識からか随分と親しく言葉を交わすような仲になっていた。親しく…
というよりはアイリスのゼロに対する好意は少し重いものがあることにエックスは薄々感づいていたが、ゼロ本人は判っているのか
居ないのか、至ってあっさりとした態度をとっている。
 あまりの鈍さにエックス自身、何度もそれらしいことを匂わせてみたのだが、ゼロが空気を読めないことと、あまり先走りしてしまうの
もどうかという慎重性ではっきりとしたことも言えずに、そのままうやむやになっている。本人たちより他人であるはずの彼のほうが
却って色々と気を揉んでいるというのも奇妙な話だが、ゼロが関わった場合なら当然のように受け止められるから不思議だ。恐らく
ベース内の誰しもが、ゼロの色恋沙汰について彼自身が右往左往する姿など想像もつかない、というだろう。ゼロの事なのに
じたばたするのはエックスだ、と。そのことを否定しきれないような態度をとっている自分にため息をつきながらも、生来の面倒見の
良さは周りの言葉や自分の意思でどうにかなるものではないようだ。

 ドアを開く音に顔を上げたゼロがアイリスの姿を認め、軽く手を上げた。笑みでそれに答えると彼女は彼らの方へやってくる。そしてほとんど唐突な質問を投げかけた。
「サーバーの調子はどうですか?」
 一瞬沈黙が落ちる。
 そのサーバーが、ついこの間レプリフォースからの技術提供を受けて開発されたものを指すのだということにエックスが気づくのに少しかかった。ゼロもその説明は受けていただろうが、彼の場合、パソコンを使って何かをするということ自体が皆無なので恐らく意識の片隅にやってしまっていたに違いない。
「ああ、とっても便利だよ。…特にこのプロテクト処理とか、あと“管理人”も凄い。」
 それはいわゆる、サイバースペース、電脳空間と呼ばれても良いようなシステムを導入した結果だった。クジャッカー、と呼ばれるシステムが直接その世界を管理し、また時においては外の世界からの干渉を可能にしている。つまりそれは、中で以上が発生した場合それをクジャッカー自身だけでなく、プログラム化されたレプリロイドもが直接調査することが出来るというわけだ。
 従来に無い、外からの干渉。本来プログラムが大きい意識や思考の部分はコンピューターの中に入ると色々な不都合が起きてしまったりするのだが、この管理者による適切な圧縮がそれらを解消している。
「良かった。実は彼、かなり個性的な性格なんで喧嘩しちゃったグループもあったみたいだから、心配してたんです。」
 アイリスが言った言葉にゼロは首を傾げた。
「彼?」
「管理人…あぁ、今は出られないみたいなので、とりあえず顔合わせだけ。」
 そういいながら彼女はぱたぱたとキーボードを叩いて別の画面を呼び出した。すぐに画面に映し出されたのはちょうど孔雀を模したようなレプリロイドだ。
 アイリスが説明するには、彼は元々はレプリフォースのオペレーターだったのだがそのデータ集積の速度を買われ、プログラムとしてサイバー空間の管理人になったのだという。
「……」
 ゼロが何ともいえない表情になったのはクジャッカーの喋り方がかなり特徴的だということを聞いた瞬間だった。